御挨拶
創業以来120年余り 長崎でべっ甲製品の専門店として暖簾を継承してまいりました。しかしながら 2001年(平成13年)の春に4代目店主であるわたくしが過労で倒れて危篤状態になり意識が戻ったときには腎臓が壊れてしまっていて1回4時間週3回の人工透析を受けて生命を繋いでいくという思いもよらぬ事態に見舞われてしまいました。そのため体力が伴わない状態でお仕事を続けていくのは無理であると判断して止むに止まれぬ思いを抱きながらお店を閉じて療養に専念することにいたしました。翌 2002年(平成14年)に軽井沢に住む友人 (元日本ダイナースクラブ勤務) から浅間山の中腹にある標高1000メートルの小さな田舎町での転地療養を勧められ 住み慣れた長崎を離れて信州に居を移しました。
軽井沢はむかしから"天井のないホスピタル"といわれているところです。東京ではいつも身体の調子が良くないのに軽井沢の別荘に来ると何故か元気になって庭いじりをやっているなどというお話が街のあちらこちらに転がっている.そんな独特の空気が漂うところです。そしてわたくしにとって軽井沢の気候風土は思いのほか身体に合ったみたいでした。日を追うごとに自分でも信じられないほど体調が好転してまいりました。長崎で療養していた頃は祖父が愛用していたべっ甲の杖をついて道を歩いていましたが軽井沢町に移住して4ヶ月ほど経ったころには杖を押入れの隅に片付けてしまっていました。そして1年ほど経ったころには身体を壊す前の元気な頃に近いところまで体力が回復していました。それで2004年(平成16年)から療養の傍ら夏の間だけ軽井沢のリゾートホテルで ”NagasakiPresents.長崎からの贈り物” というテーマで小さな展示会をさせていただいてまいりました。それでも寄る年波には勝てないものでございます。展示会の設営や撤去が体力的に厳しくなってまいりましたので10年ほど前からお客様への対面販売はお休みさせていただいております。
光陰矢のごとしと申します。時間が経つのは早いものでございます。信州に越してまいりましたときは齢40歳代前半でしたがもうすぐ還暦を迎える年齢になってまいりました。平安のむかし 人生は30年でした。昭和20年代まで人生は50年でした。昭和30年台は人生は60年でした。.昭和40年台には人生は70年と言われるようになりました。そして医学の進歩の恩恵を享受している昨今では男性は人生80年.女性は90年があたりまえになってまいりました。とはいえ腎臓の機能が壊れかけているわたくしがべっ甲製品を販売させていただく気力と体力を何時まで維持できるだろうかと考察していくとき べっ甲業の終焉を念頭に置いた販売形態へ舵を切る時期に差し掛かってきているのではないかと思うようになってまいりました。
当店は創業の代から同じご予算であればほかのお店よりよいものをお求めいただけますことを生業としてまいりました。10年余り前からはホームページを介してメールやお電話でお問い合わせをいただいたお客様のご要望を伺いわたくしどもで商品をお選びしてお写真を数枚お撮りしてメールに添付してお送りするというやり取りを数回繰り返しながらお気に召していただいた商品をお買い上げいただくという形態でこぢんまりとした商いをさせていただいてまいりました。しかしわたくしがあと何年お仕事ができるだろうかと考えていくとき在庫を手元に留めたまま気力と体力が衰えたところでおしまいというのはいかがなものかと思うようになってまいりました。日本国内でのべっ甲業の幕引きを迎えるという事態に際して長崎でお店を営んでおりましたときに商品の原材料費や製造原価.諸経費を考慮しながら提示させていただいた正価でお客様に商品をお買い上げいただくという従来の商いの方法は間違っているような気がしてまいりました。べっ甲製品を愛用していただけるお客様にそのお客様が納得していただけるお値段で商品をお買い求めいただくことでひとりでも多くの方々に貴金属とは違う天然素材のぬくもりを感じていただくことが良いのではないかと思うようになってまいりました。曽祖父がべっ甲という南洋の海が育てた生命の色に魅せられ 祖父や父やわたくしも先代の後ろ姿や足跡を追いながら日々を生きてまいりました。ささやかな暖簾の終わりを迎えるにあたりまして万感の思いを抱きながら最後尾を歩く”しんがり”としての ”しめくくり” ”けじめ” ”筋を通す”という考え方に立ってべっ甲のお仕事に携わっていくことにいたしました。身体に負荷のかからない範囲で週に一点ぐらいのペースで少しずつYahooオークションに商品を出品させていただいております。それに伴いましてお客様への個別の商品販売は終了させていただいております。
べっ甲製品の原材料である玳瑁(タイマイ)亀は日本国内には生息しておりません。赤道直下の熱帯の海に生息しているウミガメの一種です。そのためタイマイの甲羅はインド洋やカリブ海の国々からの輸入に頼ってまいりました。しかし 1994年(平成6年)に日米経済摩擦によるアメリカのジャパン・バッシングに屈して日本政府がタイマイの商業取引を禁止するワシントン条約を批准したことによリタイマイ亀を輸入することができなくなってしまいました。べっ甲製品の製造をおこなっている業者が輸入禁止前に購入していたタイマイの甲羅を使いきってその商品が完売したところでべっ甲のアクセサリーは日本国内の店頭から姿を消してしまいます。
30年ほど前.タイマイ亀の原産国であるカリブ海に浮かぶドミニカ共和国やハイチ共和国.インド洋に浮かぶセイシェル共和国やモルディブ共和国を訪れたとき 現地の人達がつくったべっ甲製品が観光客が立ち寄るお店の店頭に並んでいる光景を目に致しました。観光地でべっ甲製品を並べて西洋人に販売している露店も目に致しました。赤道直下の太陽の光は力が強いので光沢を持つ素材をより美しく映します。べっ甲のアクセサリーに映る飴色の模様はとても美しく輝いていました。イタリア・ミラノのドゥオモアーケードのアクセサリー店のウインドウに並ぶべっ甲の装飾品.フェレンツェ.ベニスのブティックのショーケースに並ぶべっ甲のアクセサリー.フランス・パリのシャンゼリーゼ通りの宝飾店のショーウインドウにさり気なく飾られているべっ甲.イギリス・ロンドンの家具屋さんのウインドウに何気に並べてあったべっ甲.ヨーロッパの文化のなかに馴染んでいるべっ甲のアクセサリーや調度品をいくつも目にいたしました。原産国で食用のために捕獲したタイマイの甲羅を再利用することはワシントン条約には抵触しないような気が致します。できることであればタイマイがとれる熱帯の国々の人達の間でべっ甲という文化がこれからも継承されていってほしいという無垢な夢を思い描いています。べっ甲製品は希少価値の高い逸品です。ヤフーオークションを介してお気に召していただける商品をお気に召していただけるお値段でお買い求め頂きますことを切望いたしております。
2016年(平成28年)4月1日 川口洋正 拝