プロローグ     日本文化と亀のかかわり

古来我が国では亀は鶴とともに長寿の象徴としておめでたいものとされています。漁師は網にかかった海亀は縁起が良いものとして酒を飲ませ海に帰すといいます。このような習慣は日本人と亀との特別な関わりのなかから育まれ形成されてきたものです。海亀を海に帰すというお話は身近なものでは「浦島太郎」の童話があります。しかしこのとき浦島が助け海に帰した海亀が産卵のために上陸してきた赤海亀であったことはあまり知られていないでしょう。赤海亀は現在でも産卵のために5月から8月にかけて日本各地の海岸に上陸します。毎年この時期になると海亀の卵を保護し孵化した稚亀を海に帰す様子がテレビなどで放映されるのが恒例になっています。タイマイという海亀がいます。浦島太郎に出てくる海亀や青海亀とも違いやや大きめで限られた海にしか生息しない海亀でこの亀と日本人の関わりのなかからべっ甲細工という世界に比類のない屈指の伝統工芸が育まれてきたのです。



均衡     バランス.資源保護と利用

173年「絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関するワシントン条約」が成立し輸出国と輸入国が協力して絶滅の恐れのある野生動物の国際商業取引を規制し保護がはかられました。この条約のもと現在非常に多くの野生動植物が保護を受け絶滅の淵から救われています。べっ甲の素材である玳瑁もまた資源の減少からワシントン条約の対象品目になりました。種の絶滅はべっ甲業界や伝統技術の絶滅を意味します。それでべっ甲業者は以前から限りある資源をいかにバランスよく利用すべきかを真剣に考えてきました。1979年.日本のワシントン条約加盟の前年に政府と べっ甲業界は輸入割当制度を導入すると同時に国内法によって年間の輸入枠を従来の3割減の30トンと定め「玳瑁の保護」と「保護に基づいた資源利用」へと積極的に動き出したのです。玳瑁を保留批准した条約の本質を理解しべっ甲業界は条約に加盟している国々からの輸入は全面的に禁止しこの枠内で条約の非加盟地域から玳瑁の輸入を行ってきました。われわれは種が滅びつつある地域の玳瑁を利用するつもりは毛頭なく資源の豊かな地域の玳瑁を利用しながら資源おいかに保護し増やしていくかについて考えていました。



協調      立場を超えた協調の先にみえるもの

1988年「浦島太郎」の民話の発祥地である日和佐で海亀のシンポジウムが開催されました。そしてその直後姫路でSSC(種の保存委員会)とCITES(ワシントン条約事務局)及びべっ甲業界が互いに協力しあい亀の個体の減少を防ぐ努力についての決議をしたのです。このようなワシントン条約に関わる人々や専門の科学者との意見交換の場を定期的に設けたり日本政府やオピニオンリーダー.SSCがひとつになって海亀に関する国際会議を開催し「海亀の保護とその利用」について話し合いをするなど互いに知りうる情報を交換し協調していくことが現在のわれわれのあらゆる活動にとって重要です。なんといっても海亀の生態についての情報が絶対的に不足しているのが現状なのです。ワシントン条約が署名された1973年以来べっ甲業界は資源確保のため東南アジアへ玳瑁資源調査団を派遣し実態調査を行いました。またパラオにヘッドスターティングに関する実験を試みてきました。このような資源保護活動の歴史は我が国では遠く今世紀の初めに遡ります。19世紀.捕鯨が盛んにおこなわれていた頃.日本の小笠原諸島に出没していたアメリカの捕鯨船団が食糧補給のためこの地域の青海亀を次から次に乱獲した結果数が急減しました。この状態を憂慮した日本政府は1900年代にはいり資源回復のために稚亀の放流を開始し現在でもこれを続けているという資源保護の伝統があります。これらのわれわれの実験や活動を通じておぼろげながら玳瑁の生態についてべっ甲業界なりに理解し得たことがありました。例えばキューバ産とジャマイカ産の玳瑁は両国が非常に至近距離にありながらそれぞれの種には明確な区別ができる特徴があります。つまり甲羅の色彩の特色や形態の明らかな相違があるのです。同じカリブ海の玳瑁でありながら明確な違いがあるということは両者の間で種の交わりがなかったことを意味しています。同様にアジアのインドネシア産フィリピン産は類似する点はあるもののアラビア海やメラネシア産と比較すると完全に異質であることがわかります。アフリカ産は甲羅が広く大きいわりに厚みが薄くほかの産地と識別が容易なのです。このことは玳瑁は生まれたところから離れることはないのではないかということを物語っています。べっ甲業界がこうして経験を通して理解した玳瑁の生態についての考え方は学者の意見とは違い「玳瑁は青海亀や赤海亀とは違い回遊性が少なく10〜15年で親亀になる」というものでした。しかしこれはなんら科学的根拠のあるものではなく長年のべっ甲を取り扱う経験のなかでおぼろげながら理解し得たことでした。パラオでのヘッドスターティングの試みの背景にあったものは科学者の協力を得てべっ甲業界の得た理解を実証するということでした。べっ甲業界は現在インドネシア林業庁と資源維持のために海亀保護計画についての共同事業を実行しようとしています。これは基礎的な段階は1988年に一部スタートしておりビリトン島とバリ島での海亀の保護と飼育の可能性についてあるいは養殖場の選定等の調査を含め現地住人に対する海亀保護の教育プログラムも行われています。インドネシアのプロジェクトはべっ甲業界のパラオでの実験の検証と「キューバ方式」と呼ばれる資源確保についての啓蒙でした。キューバは我が国に年間6トンの玳瑁をコンスタントに輸出していました。このキューバの資源の豊かさについてのカギを探るべくべっ甲業界はキューバの漁業当局を訪ねました。その結果わかった資源保護政策とは「卵の捕獲はもちろん上陸した亀は大小にかかわらず一切の捕獲禁止。海上といえども国を3分割し地域毎に捕獲禁止期間を設ける。一般民間人の玳瑁捕獲禁止。漁業関係者の玳瑁捕獲用網目は18インチ以上を使用。甲長50センチ以下の玳瑁の捕獲禁止。魚の捕獲時の投げ網後3時間以内に網を引き上げること。ヘッドスターティングの実施」といういわゆるキューバ方式といわれているやり方でした。このキューバ方式の根幹にあるのは卵の保護と小亀の捕獲禁止でありこれは資源の将来を考えたとき非常に重要であり基本的な要因です。しかしキューバ方式が直接インドネシアに当てはまるとは考えられません。国々にはそれぞれの民族独自の文化が存在するからです。べっ甲業界が玳瑁の資源保護と利用のなかで最も重要視しているのは「バランス」です。自然界における生態のバランス.そして自然と人間のバランス.これらのバランスを保ちながら我々が活動をすることが大切なことなのではないかと考えています。



技 ・ 神秘      玳瑁の文化.科学

玳瑁の生息地域はキューバやジャマイカを中心としたカリブ海.インドネシアのジャワ海が二代地域でありそれ以外はセーシェルやコモロといったインド洋地域です。玳瑁が食べるものはスポンジ.小魚やエビなどでこれらの餌が生息する比較的水深が浅く広い地域が玳瑁 の豊かに生息する場所です。この点でほかの青海亀などとは違っています。玳瑁が加工されて日本にはいってきたのは奈良時代(8世紀)に遡り正倉院の宝物殿のなかのべっ甲の枕に見ることができます。中国では6世紀末からべっ甲細工の技術が生み出されこの技法は16世紀にポルトガルにはいりポルトガル人の来日により長崎に伝わり長崎を中心としてべっ甲技術が発達し現代にかけて世界でも屈指の伝統工芸になりました。18世紀に玳瑁を利用する技術や技法が確立されたのですがその当時の道具と現代の道具とはほとんど差異はなくべっ甲はその神秘的な光沢や繊細さは常に職人による手作りの芸術であったことがわかります。また1841年.玳瑁の素材.輸入経路価格.加工法.細工道具など詳しく書き残した「玳瑁亀図説」という本があります。この本は日本のべっ甲加工のレベルの高さを示すとともに当時の状況を知るための重要な手がかりになります。この本によると日本は1609年にオランダと.1613年にイギリスとの間に正式な通商が開始されこのなかで年間7.2トンから7.8トンの玳瑁が輸入されていて少ないときでも4トンは輸入されていたと記されています。この数字は現在の日本の人口と比較したとき現在取引されているべっ甲の流通量と同じくらいの割合で江戸時代もべっ甲が普及していたものと考えることができます。年間に輸入される玳瑁の量が限られていたことによりただでさえ高価な玳瑁が加工されてべっ甲細工になるときはほとんど庶民には手の届かないものになっていたはずです。玳瑁の甲羅は木の年齢にも似ていて紙一枚ぐらいの層が重なり合い甲羅の厚みを形成しています。この一枚の厚みは産地によりまちまちでキューバ産は厚くアフリカ産は薄いというのが定説になっています。層の肉厚のものは甲羅全体が柔らかく薄いものは硬い性質があります。これら一枚一枚の層のなかにはコアという水分を通す管があり何十枚という厚みの甲羅があっても共通のコアは決してありません。さらに玳瑁の甲羅には保温力があり温めると自由に曲がる特性があることは科学的にも証明され人工ではつくりえない複雑な構造であることが証明されています。

日本べっ甲組合 「バランス」 より抜粋



将来      元金に手をつけることなく利息で生きる道を探る

世界の海洋から海亀類の減少に警鐘が鳴らされてから久しい。だからこそ海亀類はすべての種がワシントン条約付属書1にランクされている。しかし海亀を利用する工芸技術を日本は持ち古くから玳瑁の甲羅の利用を行ってきたのも事実であろう。このような現実のなかで最も基本的なことは玳瑁が減ってしまったら日本の伝統工芸も終息するということだ。だから利用者は玳瑁の減ることは絶対に望むはずがない。しかし人間の欲望は無限だ。ここに問題がある。幸い玳瑁は再生産の可能な生物資源である。これらは賢明な利用..つまり資源管理を行いながら利用の道を確保することの可能なことを示唆している。日本の伝統工芸が生き残るにはこれ以外に術がない。今こそべっ甲業界は海亀研究者(SSC marine turtle specialist group)に協力し玳瑁の資源管理学樹立のために力を尽くすべきである。そのためには目先の利益にとらわれない長期的視野で野生生物の保護管理に協力しなければならない。

名古屋港水族館参与 内田至



エピローグ      悠久の想い.輸入再開を信じて

べっ甲製品の原材料である「玳瑁」は絶滅のおそれのある動植物の種の国際取引に関する条約の遵守にともない日本政府は1994年7月に輸入禁止留保品目のなかから玳瑁をはずし 実質的には1992年12月をもって輸入を禁止いたしております。しかし伝統工芸の存続をはかるため国の援助を得て資源調査を実施し再輸入の活動を拓く努力を行っています。自然と伝統文化の共生を目指し限られた貴重な資源を大切に活かしながら美しいべっ甲製品を提供することで伝統工芸灯を次の代に引き継いでまいりたいと存じております。 

川口鼈甲店店主 川口洋正