東京在住の斎藤萬喜男氏 お父様の代から職人がつくったべっ甲製品を各小売店に御す仲介業.問屋さんでした。わたくしどものお店とはお父様の代からのお付き合いがありました。斎藤氏は同志社大学卒で丁寧な言葉遣いの紳士でした。斎藤氏からもべっ甲のことをたくさん教えていただきました。
輸入禁止が決まったとき斎藤氏から言われました。
「戦勝国は敗戦国に何をしてもその罪は許されるのでしょうか。戦時国際法では非戦闘員に武力を行使してはいけないと定められています。にも関わらず勝てるとわかっている戦争でなぜ広島にウラン原爆 長崎にプルトニウム原爆という2つの違う種類の新型爆弾を続けざまに投下する必要があったのでしょうか。生き延びた人間の細胞を放射能が壊してその子や孫の命を奪う可能性がある という人類の最終兵器を保持していることを世界に発表するための人体実験を強行しただけではないのでしょうか。アメリカはべっ甲の原材料である玳瑁亀を絶滅の危機に瀕しているという根拠の乏しい数字を挙げてジャパンバッシングの材料にしました。べっ甲の原材料の輸入禁止は長崎に根付いた文化の流れを根こそぎ奪うことです。アメリカは戦時国際法を無視して自国の利益のために長崎の人たちへ無差別殺人を仕掛けました。そしてまた長崎の人たちの生活を奪おうとしています。アメリカは長崎にまた悪事をはたらきました。そういうことはあってはいけない。洋正さん(わたくしのことです)は手紙を何通もくれたでしょう。文章がかける長崎のべっ甲関係者がこのことをメディアで訴えてほしいのです。東京のべっ甲関係者が言っても説得力がない。長崎のべっ甲屋さんが言うことに意味があるのです。お願いします。メディアが動けば世論が動く。世論が動けば政府が動くかもしれないのです。それが唯一の光明なのです」と頭を下げられました。30歳代前半のおバカなわたくしには理解できないものがありました。「そういう大きなことはうちなんかではなくて日本でいちばん歴史が古い江崎べっ甲さんがやってはじめて説得力があるのではないか。うちはそういう立場ではない」とお断りしました。「そういうことではなくて長崎の老舗の小売店の人間であればそれで良いのです。東京のべっ甲業者にはできないことなんです」と懇願されました。当時のわたくしには力不足でどうすることもできませんでした。
58歳の男性が32歳の若造に頭を下げるということがどれだけ重いことだったのか わかりませんでした。悲しみだけが夢をみる です。ほんとうに大切なもの なくなってほしくないもののためには自分の子供ぐらいの若造に頭を下げることができるのです。
この拙い童話を貫く揺るがないテーマは 悲しみだけが夢をみる です。

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