再開
老舗べっ甲店再出発
ブティックのような店構えのべっ甲店が15日.長崎市築町の県庁坂沿いにオープンした。「川口鼈甲店」創業1881年。長崎でも3本の指にはいる老舗で同市浜町の商店街に店を構えていたが今年1月経営不振から閉店に追い込まれた。四代目店主の川口洋正さん(38歳)は新機一転の再出発をこれまでの4階建ての店舗から約26平方メートルのスペースにかける。中国人から学び長崎人の努力で技術を高めたべっ甲細工。戦前は店先で客の注文に応じてデザインを描き職人が加工していった。戦後観光ブームに高度経済成長の好景気が重なり売上は順調に伸びた。大きな店舗で大量販売し黙っていても売れた。しかし次第に売上が落ちた。タイマイの輸入禁止による材料価格の高騰もあったが川口さんはかわりばえのしないデザインにも原因があると感じている。「使う人にとってどうなのか。そう考えるとくしの厚さひとつももっと繊細にならなきゃいけないんでしょうね」小ぶりな店舗はお客の声を聞くという原点に戻ろうとするあらわれでもある。若い人にももっと売り込みたい。「べっ甲のアクセサリーは若さを引きたてていいと思うんですがどうも地味に思われるんですよね」と苦笑する。いずれは東京にも店舗を構えべっ甲を東京のセンスの中で磨いていきたいとも思っている。
朝日新聞
川口鼈甲店.再出発へ
タイマイの輸入再開の日待つ
今年1月に長崎市浜町の店を閉じた長崎の老舗べっ甲店「川口べっ甲店」川口洋正社長が洞市築町の県庁坂沿いに再び小さな店を開く。原料のタイマイ輸入禁止やバブル経済崩壊後の装飾品の売り上げ低迷で「一度は長崎を離れることも考えた」という川口社長だが「長崎の伝統工芸を残してほしい」という市民やタレントの永六輔さんをはじめ友人たちの支援に押されての再出発になる。同点は1881年の創業.長崎を代表するべっ甲専門店として知られた。1月の閉店後は全国のデパートを回ってショーケース数個の展示会や3人のべっ甲職人も外相に回っての営業を続けてきた。3月には長崎市を訪れた永さんから「わたしの知っているべっ甲はこんなにきれいじゃなかった」と勇気付けられた。老舗の再建には建築業者らの経済的支援や手弁当で駆けつけてきた東京の店舗デザイナーなど多くの人々が協力した。今春のワシントン条約の締結会議ではタイマイの輸入再開に賛成する国が初めて過半数を超えた。再開には三分の二以上の賛成が必要だが川口社長は「明るい光が見えてきた。輸入再開が実現したときにタイマイが買えるだけの力を持ち続け技術を守りたい」と話している。
西日本新聞
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伝統工芸の灯を消すな
鼈甲専門の老舗 15日長崎で再開」
今年1月.長崎市浜町の商店街から姿を消したべっ甲専門の老舗「川口鼈甲店」(川口洋正店主)が15日.同市築町で店を再開する。長崎が誇る伝統工芸品のべっ甲業界は原料タイマイの輸入禁止やバブル崩壊後の景気低迷で厳しさを増すなかで同店は「もう一度原点に戻り伝統工芸の灯を消さないよう取り組みたい」と話している。同店は1881(明治14)年に洞市鍛冶屋町で創業。1933年から浜町に店を構えべっ甲専門店として営業。愛好者や市民に親しまれてきた。だがバブル期の90年に行った店の大幅改築やタイマイの輸入禁止を前にした材料確保で大きな借り入れをした一方バブルの崩壊後高額製品を中心に売り上げが低迷.経営悪化に伴い今年1月末に負債整理のため店を手放した。「製品がいいと言われ自己満足をしていて売れてなんぼということを忘れていた」と振り返る4代目の川口洋正さん(38歳)。店じまいの後も再起を期して同市新戸町の工房で製品を作りデパート出展などで細々と営業を続けた。新店舗は4階建てだった以前の店に比べy約26平方メートルのスペース。川口さんは「地元の人になじみの店が戻ってきたと喜んでいただいているが甘えることなく努力したい。べっ甲業の生き残りには若者に受け入れられる製品作りが必要でその方策を考えていきたい」と話している。
長崎新聞