永六輔氏トークショー




永六輔氏閉店老舗に友情エール 


売上不振から1月末で長崎市浜町の店を閉めた老舗べっ甲店「川口鼈甲店」川口洋正さんを支援するためタレントの永六輔氏が3月11日同市でトークショーを開く。長崎を代表するべっ甲店」である同店の再建のため「何かわたしにできることがあれば」と永さんが川口さんにボランティア支援を申し出た。きっかけは94年3月永さんに川口さんが出したラジオ番組宛の1枚のはがき。「日本からなくなりそうなもの」というテーマを取り上げた永さんに川口さんが「長崎のべっ甲屋です」という便りを送り放送された。べっ甲の原材料であるタイマイの輸入禁止やバブル崩壊など経営が苦しくなり始めたころだった。その夏長崎に来た永さんを「あのときのべっ甲屋です」と訪ねたら覚えていてくれた。その後番組や著書の中で「長崎の友人」という表現で何度も取り上げてくれ励まされたという。いよいよ銀行から店の立ち退きを迫られた昨年末「店は小さくなってもどこかでべっ甲屋をやり続けたい」と書いた。今回の永さんの申し出を川口さんは「長崎べっ甲の灯を消さないことが友情に応えること」と話している。トークショーの中身はこれから詰めるが大筋で日本人の「粋」についてべっ甲文化を題材に1時間あまり.入場料1000円.入場料の全額を永さんの震災対策基金「神戸夢風基金」に寄付する。

                                                    97年2月18日 西日本新聞




永六輔氏長崎の伝統文化守るため友情応援 


売上不振から1月末に閉店した老舗べっ甲店「川口b鼈甲店」に再起を支援しようとタレントの永六輔さんが3月11日同市でトークショーを開いた。3年前に永さんのラジオ番組に川口さんが投稿して以来の関係。永さんは長崎特産のべっ甲細工が原料のタイマイ輸入禁止などで苦悩しているのを聞いてボランティアでショーを申し出た。役100人の聴衆を前に川口さんが「再起してべっ甲技術を守っていく」と決意表明。永さんは「べっ甲のくしは髪に優しい。ギターのピッグもべっ甲製が一番。長崎出身の歌手さだまさしにべっ甲を愛用するように頼む」と再建への妙案も…。

                                                      97年3月12日西日本新聞




永六輔が川口鼈甲店を応援


今年になって浜町アーケードから美しいお店が閉店したことは皆さんご存知?長崎の文化鼈甲業界が危機にあることはご存知?そう.閉店したのは「川口鼈甲店」。ほとんど毎日アーケードを歩く私にとってショーウインドウは「私と街を映す顔」。綺麗な川口鼈甲店のショーウインドウからはささやかだけど贅沢な時間をいただいていた。それがある日無くなった。時代の流れは新しいものにだけ優しいのかなぁとぼんやりお思った。そしてある朝新聞に永六輔と川口鼈甲を結ぶ記事を発見。なんでも永さんのラジオ番組に川口さんがハガキを送ったことが縁とか。これは「いいはなし」に違いない。さっそく応募ハガキを出した。そして見事限定100名の中に入った。お知らせの毛筆の宛名書きに真面目さとひたむきさを見た。当日開演前というのにエレベーターの所で係りの方が「開演10分前のトークが始まっています」とおっしゃる。「ヤラレタゼ」である。あー永さんだ。普段着だ。青のパーカーだ。息つく以外はしゃべってる。「立て板に水」だけど楽しい。そして考える材料を次々に発してくれる。「かっこいい」である。有意義である。定刻になると「さあお時間ですよ」と一言いれて「今日は放送では喋れないことを話します」ときた。ペルーの人質事件や重油流出事故を例えにとっての「危機管理のまずさ」の話。そしてそれを川口鼈甲店の閉店と絡める。「鼈甲全盛の時にこの 危機をとらえてなかったんでしょうね。ガハハハ」と笑って「重いことは明るく.明るいことは深く.話すんですよ。友人の言葉ですけどね」と締める。30分ほど一人で話されたところで川口さんの登場。「あらまぁ。さっきのエレベーターのお兄さんが社長さん…。」「川口さんは何代目?」「4代目です。」「普通3代目でつぶれるのよね。ガハハハ」「鼈甲専門でいけると思ってたの?」「古いことが新しいと思っていましたから」「そう.でも貴方を見てると辛そうだけど何かを始めるんだなぁと思うのよ」「鼈甲を欲しいという声があれば北から南まで行く姿勢です。店は無くなりましたが職人も販売員もおりますので神出鬼没で頑張ります」永さんの最後の言葉「鼈甲ってほんとうに綺麗。高さの理由もわかる。でも今日は安いのは600円から並んでいるから美しさを見ていってください」を受けて見た。見た。そして「本物の美しさが持つ深い力」を見つめた。それもこれもこの鼈甲を作り上げた文化の成せるワザでしょう。私は感じ入りました。いつの日か.いや必ず近い将来.鼈甲のかんざしを挿して「長崎」を歌いたい。川口鼈甲店さん頑張ってください。

文 たぶちむつみ   ながさきプレス97年4月号掲載