長崎モノ語り  「鼈甲」


海の底の闇と太陽の光が同居している不思議な輝き 「鼈甲」

久しぶりに立ち止まった。県庁坂の「川口鼈甲店。、失礼を承知で言えば見落としても通りすぎても不思議のないくらい小さい店だ。私はその時.どこかに急いで行かなくてはいけなかったと思う。でも立ち止まってしまった。「見たことはあるけれど新鮮な存在」が私を呼び止めたのだ。小さい頃.大きな鼈甲屋さんの近所に住んでいた。だから私にとっての鼈甲は.観光客がどーっと来てどーっと買って帰るものだった。グラバー園や大浦天主堂やカステラのようなもの。少し大きくなって.「鼈甲柄」のプラスチックのバレッタや指輪を買うことはあった。でも「鼈甲柄」はあくまで「柄」で.そのものを買おうとか.増してやそれが長崎の伝統工芸品だとかは.ちっとも思い出せなかった。急ぐ私を呼び止めた犯人は.時計のベルトだった。3通りの明るさの飴色がストライプになっている。革でもなく金属でもなく.同じ素材なのにこうも違うかという色と合わせて.その光は鼈甲独特のもののようだ。プレゼント用とおぼしきラッピングも.なかなかいい感じだ。初めて鼈甲を「欲しい」と思った。「へぇー」と思ったことがもう一つある。私にとっての鼈甲は.何がなんでも「私は鼈甲でございー」と主張しているようなものだった。極端な話.デザインや使い勝手よりも「鼈甲」ということがわかればそれでいいようなもの。良くも悪くも「長崎みやげ」である。それがここのショゥウィンドウに飾ってあるのは一方にイヤリングや指輪としての美しさがあり.もう一方に鼈甲本来の美しさがある。その2つがお互いを引き立て合っているような気がした。鼈甲が威張ってないのだ。飴色の深さの使い分けも.巧みにデザインのなかに取り込まれている。別に「長崎」でなくったって良い。だけど確かに長崎のもの。店に入り川口さんと話をした。「川口鼈甲店」はもとアーケードにあった。浜屋の並びの.ちょっと周りの店とは一味も二味も.五味ぐらい違う店の造りをしていたところだから.覚えている人も多いだろう。創業は明治14年というから.116年の歴史を持つ老舗だ。それが原因はバブル崩壊だ何だといろいろあったが.簡単な話.一度潰れてしまった。商売としての鼈甲屋を畳むことは「伝統工芸」という看板が.また一枚長崎から無くなるということで.非難めいた「惜しむ声」もあちこちから聞こえてきたらしい。人は何かあれば言いたいように言う。この店を再開したときの反響も大きかったが.もうそんな声に惑わされることも無くなった。人や商売がどんなに周りでグルグル動いても.鼈甲というモノが持つ美しさは変わらない。工房に立ち帰り,デザインを練り直し.デパート出展などで一から勝負を賭け直した。店構えなどのハッタリが無い分,そのものの価値が売り上げを決める。良いものは売れるし,そうでないものは売れない。デパート出展の様子をたまたまテレビで見たという友人から「カメラアップに耐えられる鼈甲はあんたのとこのだけだね」と電話がかかって来た。「別にお客様に教える訳でもないのに.新しいデザインのものから売れて行って.前からある在庫は動かなくてねー」と困る川口さんの顔は誇らしげであった。伝統は伝えていかなくては死んでしまう。それも人々が自分の生活に溶け込ませながらでないと意味が無い。長崎の大切な伝統工芸である「鼈甲」の生き死にが.この辺にかかっているというのは決して大げさではないと思う。
下妻みどり(ながさきプレス97年12月号掲載)