一.すっぽん亀八
長崎の町をお奉行やお代官が治めていたころのことです。
町近くの在所に、亀八という子供がいました。うちはお百姓でしたが、十三歳のとき、父さんに死なれてしまい、そのあとは母さんの手助けをして、せっせと働さましたので、貧乏ではあったけれども、くらしには困りませんでした。
親孝行もので、母さんには家の近くの楽な仕事をさせ、自分は坂道をのぼって遠い畑へ行ったり、山仕事に行ったりしました。とてもよく働くので、力は強く、背も高く伸び、がんじょうで、ちょっと見にはもう立派な若者に見えました。
秋の夕焼け空の美しいころのことでした。山仕事を終えた亀八は、そばの木にぶらさがっているぐべ(むべ)の実が赤黒く熟れているのを見て、「もう甘そうだぞ」とひとりごと、三つばかりもぎ取りました。それは母さんへの山のおみやげなのです。
ぅちへ帰る途中、子供たちがワイワイさわぎながら来るのに出合いました。その中の一人が、一匹のすっぼんがめを、わらなわでしばってぶらさげています。
「おい、お前たち。生きものばいじめちゃあいかんな」
亀八がいうと、子供たちは
「拾うたもんな、わがもん」
「捕ったもんな、わがもん」
ロぐちにわめきます。
「石けりよか、かめけりの方がおもしろかとぞ」
がき大将らしいのが言います。
「そんげんことばすっと、罰があたるぞ」
ほんとうに罰を受けては、みんながかわいそうだと思いましたので、さっきのー・母さんへのみやげなのだけれども−あのぐべを取り出して
「さあ、これと、そのかめと取りかえようや」
よく熟れたぐべの甘さは、たいへんな魅力でした。子供たちは、ぐべをひったくるように受けとると、かめをほうり出して駆け去ります。
かめのなわをといてやり
「もう、あんなものにつかまるなよ」
草の茂みの中へ放してやりました。
十二月も終り近くになると、どこの家でもおもちつさがはじまります。
けれども亀八のうちでは貧乏なので、もち米を買う銭がありません。
こんな時、父さんはいつももろもき(うらじろ)を取ってきて町へ売りに行ったものでした。それを思い出したので、さっそく山へ行きました。そしてもろもきを取りながら
もろもきゃ 取ったばってん年や何で とろか
とうたいました。これも父さんがいつもうたったうたです。
すると足元の枯草の中でなにやらボソボソ・ガサゴソと妙な音がします。耳をかたむけてよおっく聞くと
おもちで、おもちで
だみ声でそう言っているようにも思えるのでした。変だと思って、もう一度
もろもきゃ 取ったばってん
年やなんで 取ろか
うたいますと、また、それに応じるようにボソボソ・ガサゴソです。どうやら
おもちで、おもちて
とも聞きとれるのでした。何となく心ひかれ、枯草をかきわけて見ると、かめが亀八を見あげて、ぴょこりとおじぎをします。
「やあ、いつかのすっぼんだな」
うれしくなって声をかけました。
すっぽんは、すぐそばの山いもづるがからみついている木にエッチラ・オッチラ首を長く出してふりふりのぼります。やがて、山いもづるは横に伸びていって、となりの木に巻き付いている……それを渡りはじめました。すっぽんの綱渡りです。右と左の前足で、かわりばんこに、つるをつかんだりはなしたり………クルリ・クルリ・グルリ………
「うまいぞ、うまいぞ、軽業の名人だ」
亀八は手をたたいて大喜びです。渡り終ったすっぼんは、−−∴おそまつさま・−・‥こいいたげに、ぴょこりと頭をさげました。
もろもきの束を竹かごにいっぱい入れ、その上にすっぽんをちょこんと座らせ、それに、長い長い山いもづるをぐるぐる巻きつけた青竹二本を待ち添えて町へ行きました。
賑矯のたもとには年の市がたっていて、いろんな商人が店を出し、年末の買物をいそぐ人たちで、ごったがえしていました。亀八は、ほかの物を売っている人たちのしゃまにならないようにと、できるだけ人影のまばらな所を選んで、二本の青竹を立てました。
「さあ、さあ……すっぽんの綱渡りだよ」
亀八が大声をはりあげると人びとは何ごとかとふり向きます。そしてぞろぞろと青竹をとりまくように集って来ました。
「まあず……はじめは、かめの青竹のぼり………」
青竹はつるつるしていますから、あの無器用なすっぼんにのぼれるはずはありません。
けれども、亀八のかめは青竹にしがみつくとエッサ力・ホイサ力と四つの足を上手に使ってのぼりはじめます。− どうやら、のぼれるので、見物の人たちは目をさらのようにして見つめます。よく見ると、のぼれるはず 一 骨竹には山いもづるが巻さつけてあるの
ですから − すっぽんは足のつめをそのつるにひっかけひっかけしてのぼっているのでした。けれども一メートルほどのぼったところで、つめをひっかけそこね、ツル・ツルッルーどすべり、スットン ー と地面へ落ちてしまいました。
見物の人たちがいっせい.にワァッと笑います。すっぽんは、気まり悪そうに、前足で頭をかかえ、どうも、すみません−といった格好をしてみせて、ぴょこりとおじぎをし、それからまた、エイサ力・ホイサ力とのぼりはじめましたが、こんどは見事にのぼり切って綱渡りです。珍しくって、おもしろいものですから、みんな、ヤンヤとほめて、拍手かっさい 一 大きなかごいっぱいのもろもきはまたたく間に売り切れてしまいました。
大もうけの銭で早くもち米を買って帰って母さんをよろこばせようと、急ぎ足に立ち去ろうとする亀八に
「……ちょっと待っておくれ」
声をかけた者がいます。みると、たっつけばかまをはき、むらさき頭巾をかむった野師ふうの男でした。野師とは軽業や見せものを職業にしている人のことです。
「そのかめ、売ってくれまいか」
「とんでもなか」
亀八はすぐにはねつけました。
「このすっぽんは、うちの宝物じゃけん」
言い切って歩き出すと、また一人
「ちょいと待て」
こんどは、ひどくいばったさむらいでした。
「そなた、まだ少年ながらよくぞ申した。たしかにそのすっぽんは宝物に相違ないゆえ、代官所において飼い養ってやる。さし出しなさい」
さむらいは代官所の役人でした。亀八は困ってモジモジしていると、
「さあ、早く出しなさい」
役人はすっぼんを入れた竹かごに手をかけようとします。すると野師が前へ出て
「すっぽんを所望したのは、わたしの方が一足早いのですぞ。しかも、ただで取り上げようというのではない。ちゃんと買い取りますよ」
役人は大きい目をむいて野師をにらみつけ
「役所も、ただで取りあげようなどとは申しておらぬ」
「へえ!これは珍しい。いったい、いくらお出しですかい。わたしは一両………小判一枚、はりこむのですぞ」
野師は胸を張り、ぽんとたたいて見せます。役人は
「たった一両とは、けちくさいわい 〜当方は五両だぞ」
五両と聞いて、野師はたじろぎます。けれどもすぐに立ち直り
「ほう1−・五両とは、はり込みましたな。さすがはお代官所だ。でも、このすっぽんがめの値打ちは、そんな妥価ものではない1わたしは六両 −」
「こっちは七両だ」
役人はずばり、言い切ります。野師はちょっと考えて
「わたしは、これだよ」
梢を八本出しました。
「、ええい………めんどうだ」
役人は大声で言い、刀のつかをチョウとたたいて、
「ぎりぎり金打、十両だ」
さすがに野師はだまってしまいました。
亀八はあきれて、開いた口がふさがりません。十両といえば大変な大金なのです。もちろん亀八のような百姓の子供は、そんな大金、いままでに持ったことも見たこともないのです。母さんはお金のことなど口にしたことはありませんが、近所のお百姓さんたちは、よく、
「十両もあれば、二、三年は寝て暮らせるのになあ」
とぐちを言うことがあるのでした。
このすっぽんに、そんな高価な値打ちがあろうとは………そう思って竹かごを見ると、すっぽんは首を伸ばして亀八を見あげ、こっくりこっくりとうなずいてみせるのです。それは わたしをお売りなさい″‥こいっているようでした。
りこうなすっぽんだから、代官所へ行ってからのことをちゃんと考えているに違いないと思い
「お代官さまがほしいとおっしゃるのなら、しかたなかばってん、これは、ほんとうにぅちの宝物ですけん、大切にしておせつけまっせよ」
といい売ることにしました。
亀八が、十両という大金に、もろもきを売った銭やら、買いもとめたもち米やらを添えて並べるものですから、母さんは、もう、びっくり、はじめのうちは、ただ、あきれているばかりでした。けれども、亀八の話をよくよく聞き終ると、
「そのすっぽんは、うちの福の神さまじゃったとに、売ってしもうて、もったいなかことをした」
いかにも残念そうでしたが、しばらく考えて
「のう、亀八よ。あしたん朝、早う起きて代官屋敷に行き、うちの福の神さまばおがみに参りましたというてみなはれ。代官さんに、じかに会うて言うとぞ」
母さんが何を考えているのか、その心のうちがわかったように思い、亀八は翌朝日の出前に起きますと、大根だのにんじんだのをばらに入れてにない、代官屋敷へ行きました。
門番の老人が亀八を見おぼえていて、にこにこと
「今日は、野菜売りかい」
問いかけます。
「いいえ、うちの福の神さまばおがみに束ました」
「福の神とはきのうのすっぽんのことかい」
「はい……この野菜はシャンコンのけん、お代官さまにじきじき会うて差し上げたかと」
(シャンコンとは「上献」のことで神仏へのお供えものの「ことです。)
門番が気軽に取り次いでくれると、お代官がせかせかと急ぎ足に出て来て
「よう束てくれた。お前を呼びにやろうと思っとったところじゃ。じつはな、あのすっぽんじゃが手も足も出さず、首はちぢめっぱなし、まるで石のようにだまりこくって動こうとせぬ。どうしたらよいのじゃ」
ひどく困ったという顔つきなのです。案内してもらって、広い奥庭の池の辺に行ってみると、すっぽんは竹かごに入ったまま、ほんとうに眠っているようです。
それをまず、かごから出して、梢先でその甲をトントンたたきながら
かめさん かめさん 福神さん
もうすぐ春ぞ
ほうら……‥正月ぞ
とはやしたてると、すっぽんはそろそろと首を出し、亀八を見上げて、いかにもうれし
そうに、いそいそと足元へはい寄ります。
「やあ、動き出したぞ」
お代官がよろこびの声をあげます。亀八はすっぼんを池に放してやりながら
「かごなんかに入れておくから眠るとよ。こうして、池に放してやるとよか ー それにしてもお代官さ享…‥この福の神さまば、いったい、どうしなさるおつもりか」
お代官は真剣な顔つきで、
「実はなあ、この正月に出府して、上さま(江戸城の将軍さま)に献上するつもりなのじゃ」
亀八はおどろきました。上さまへ献上とは − なるほど、それなら十両という大金は、決して高い値だんとはいえないのです。
お代官の話によると − 昨年のことでした。お代官が江戸城へ参りますと、上さまがー 長崎は珍しいものの多いところじゃから、西の丸の姫を喜ばせるようなものがあるだろう。探してまいれ−】∴とおっしゃった。その姫さまというのは、ことし十ニ歳の、かわゆくて利巧なお方だけれども、なぜか、まだ一度もはればれと声をたてて笑ったことがない。それが上さまの悩みの種であったのでした。
お代官はそう話して
「どうだ亀八、このすっぽんならお姫さまを笑わせるじゃろうな」
「それは、もう、福の神ですけん、笑わせることぐらいは………」
とはいうものの、花のお江戸のお城の中で、はたして、どのようなことが出来ることやら ー 不安でもありました。
お代官が亀八に
「このすっぽんがお前のうちの福の神なら、そのお守役として………どうじゃ、江戸まで一緒に来てはくれぬか」
といいます。亀八は、花のお江戸へは飛んでも行きたかったけれども、お江戸までは往復だけで二か月もかかるのです。たった一人の母さんを畑の中の一けん家に残して、そんな長い旅に出たりしたら、それこそ、ばちあたりになるかもしれないのです。それからまた、うまくお姫さまを笑わせたらよいけれども、まんが一、逆に一層気むずかしいむっつり屋にしてでもしまったら、それこそどんなおとがめを受けることやらー 。
あれこれ考えて、返事しかねている亀八を、いらだたし気に見ていたお代官は、やがて、思い決したという様子で
「こんどの出府がうまくいくかどうかは、お前が一緒に来てくれるかどうかによって決まるのじゃよ。よろしいか」
と言い、亀八の屑をボンとたたいて
「これは、代官の命令じゃぞ。百姓少年亀八に、献上の福の神さまお守役を命ずる。辞退は許さぬ。よろしいな…・‥・‥明後日が出発じゃ」
断乎として言い、そばにいたさむらいに
「亀八に江戸行きの支度ばんたん、手落ちなく整えてやれ」
と言いつけました。
亀八は、とんでもないことになったとため息をつくのです。うれしくはあるけれど・…..
それより不妥の方がずっと強いのです。
まゆをひそめている亀八の足元へ、すっぽんがはい寄ります。いつの間にか池からあがって来ていたのでした。そして亀八を見あげて、また、あのこつくり・こつくりをしてみせるのです。それは、だいじようぶですよ。わたしにおまかせくださいと言っているようなのです。それを見て.亀八は勇気百倍.決心したのでした。
家へ帰って、母さんにそのことを話して、許しをいただくどすぐに、畑をへだてたお隣りのお百姓さんの家へ行きました。そこには五人の兄弟姉妹がいて、その末っ子のおきみちゃんは亀八と同じ年のなかよしなのです。
「おれ、お代官さまにたのまれて、お江戸へ行くことになった」
亀八は、ちよつぴり得意でした。おきみちゃんが
「うちも行きたか′女の子は、行かれんとね」
「行かれんさ………それで、うちは母さんがひとりぼっちになるけん……おきみちゃん、ずっと、うちに来とってくれんかなあ」
「うん、よかよ」
心のやさしい、働きもののおきみちゃんです。母さんとも仲よしですから、さっそくその日のうちに来てくれました。
次の日になると、代官所のお役人が来て亀八の身したくをしてくれます。前髪立ちのお小姓姿になったのを見て、おきみちゃんが、あら、どっかの若様のごたる″とつぶやきました。母さんは
「うちのことは心配せんでよか。気の毒なお姫さまばお幸せにしてあげなされや」
といいます。亀八は勇み立ち、安心して出発したのでした。
先頭のページ 前のページ
次のページ >|