三.べっこう.けっこう


長崎代官の一行がいよいよ江戸をたって、長崎へ帰ろうという日は、珍しい大雪となりました。その前夜はひどく底びえがして、春とは思えない寝苦しさだったのです。
朝、起きてみておどろきました。庭の紅梅がまっ白な雪におおわれているのです。石燈籠も綿ぼうしをかむったようでした。宿舎の主人が
「この大雪じゃ旅はむりですな。箱根のお山は、とても越せまい」
というものだから、それなら出発は二、三日延期しようということになりました。
亀八はさっそく登城して、西の丸へ行きますと、庭木戸の前で姫さまの侍女に出会いました。
「よい所へ参られた………実は……」
とその侍女が語るところによると ー 今朝の大雪に、姫さまはすっぼんのことを気づかわれ、庭へおりて行かれたそうである。
庭も築山も石燈籠も木木もあずまやも、すべて雪なのに、池の水は大空の雲をうつして
灰色によどんでいる。
その水面にポッカりと黒いものが浮いていました。なにかしらと竹ざおでかき寄せてみると−−−−すっぽんなのです。足も首も尾もちぢめてしまって、全く動きません。
大騒ぎとなりました。こたつに入れてみました。お湯につけてもみました。でも、だめでした。
ご殿医もよばれてきたのですが、
「……さあて、ね。人間なら何とでも手当ての仕方もあるのだが、どぅも、すっぽんではねえ」
と首をかしげるばかり、そのあげく何といってもこの寒さだ………凍死にちがいない=@ということになりました。
侍女の話を聞いて亀八は、びっくりぎようてんして姫さまのお部屋へかけつけました。
丹後守も来ておられます。
経机の上に黒塗りの手箱をおき、姫さまはその前に座って泣いておられました。
手箱の中には真綿が敷きつめられ、それにくるまるようにして、すっぽんが、まるで黒い石のように置かれているのでした。
「亀八殿」
お姫さまが涙にぬれた顔をあげてよびかけます。
「そなたには、わたしの歎きが、よっくわかるはず」
亀八は黙って頭をさげました。目から涙があふれ出そうになったのです。姫さまより数倍の、この、歎き、この悲しみ −。
このすっぽんとの、もろもき取りのやぶの中での出会いから、その後の、あの時、あの場所でのさまざまの思い出が、まるで、まわりとうろうのように駆けめぐるのでした。
悲しみに耐え、じつと涙をこらえている亀八を、もどかしげに見て、姫さまは
「そなたの願いなら何でも聞きとどけてくれる福の神さまだと申していたではないか。
何とか……どうにかならぬものか」
亀八は、箱の中のすっぼんを、両手にのせてみました。冷たい石のようでした。そっと口もとに近づけて、頭のあたりに熱い息をふきかけてみました。けれども動きません。甲
羅をほっペたにおしあててもみました。ただ冷たいだけでした。
すっぽんは、ほんとうに死んでしまったかのようでした。
どうしようもなくて、そおっと、また箱にもどしました。
ても………ても………
どうしようもないからといって、このままでよいのだろうか。亀八は、目にあふれ出ようどする涙をふりはらうように、首をふりました。横に強くふりました。
このままでよいはずはない。姫さまを歎きと悲しみの中に置きぎりにしてよいはずはないではないか 。
「丹後守さま」
亀八がよびかけます。
「すっぽんのことを唐土では何と申しますか」
丹後守は有名な漢学者でしたから
「ペソと申す」
すぐに答えます。
「そんなら、すっぽんの甲はベッコウ″ ですね」
亀八はひざを進めます。丹後守はうなずいて
「さよう ー ベッコウには霊力がこもっているとされ、貴重な薬物ともされておりますじゃ」
亀八は顔を輝やかせ、
「うちの母さんの話だと長崎には、昔、タイマイ亀の甲を磨いて、きれえかタイマイ細エを作っておったとげな………それがご禁制になって、今ではサンゴ細エだけしかしよらんけん、そのタイマイ細工師に、このべッコウ細エばしてもらおうと思うどばってん、どうじゃろうか− 福の神のやどったベッコウ細エで、すっぽんの、あの威張った姿を、こんどは決して死なないものに生きがえらせて、姫さまの守り神にしたら:……・」
丹後守はハタとひざをたたき
「それは、よい思いつきじゃ。タイマイ細エはご禁制だが、霊力あるベッコウ細エなら、まことにけっこうじゃよ」
姫さまの顔からも、どうやら歎きと悲しみの影がうすれたようでした。
長崎代官の一行は三か月ぶりに長崎へ帰ってきました。
亀八の家では、母さんとおきみちゃんとが大喜び、お赤飯をたいての出迎えです。
ところが翌朝、床の間に置いてあったすっぼんの手箱を開けてみると中はからっぼになっていたのです。
「やっぱり、神さまじゃったなあ」
母さんがそう言いますと、みんながうなずきました。
でも、亀八は、さっそく唐人船が積んで来たベッコウを買いもとめ、それをタイマイ細工師にたのんで、あのすっぽんの姿を作りあげたのです。すばらしい出来栄えでしたので、大急ぎで西の丸の姫さまに献上しました。その威張ったすっぽんの姿は、ただ一目見ただけで、だれでもが、思わずにっこりと笑わないではおれなかったそうです。
江戸城の大奥では、そのベッコウ紬エの見事さ、美しさが大評判になり、その後、長崎へのベッコウの注文がつぎからつぎと続きました。
長崎のベッコウ細エが有名になったのは、それからのことだと申します。
亀八はその後、宅地や田畑や山林を買いもとめ、村では並ぶもののないお大尽になりました。なにしろ、江戸をたつとき、上さまから宝をどっさり、頂戴して来たのですし、しかもその上、良官のあとおしもあって、ニ十歳過ぎには、もう村の庄屋になったのです。その時、お代官が、亀八の母さんに、こっそり
「実はのう、江戸城内で上さまから1亀八は庄屋の役つとまる人物、目をかけてやれ〜と仰せつかってまいったのよ」
と話したのでした。母さんは、何も言いませんでしたが、そっと、目の涙をふいていました。

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