鼈甲の由来


鼈甲は世界各國で昔から愛用されて居りますが是れは我國でも随分古くから大?珍重せられておりました。鼈甲は元支那から朝鮮を経て我國に渡来し、種々の?遷を経て一般的に流行したものと傅へられて居りますが勿論詳細な記録がないので斷言は致し兼ねますが、既に一千六百餘年前聖武の朝に使用せられた事は現に奈良正倉院に国寶としてります。我國では昔から鶴と共に長壽の 瑞祥として且つ叉婦人の戒として婚禮秘藏されてゐる御劍、共他の器具・楽器等へ鼈甲を應用彫嵌した物が有る事によっても明らかであ の儀式には是れを用ゆる習慣になつて居りまして、昔は鼈甲の事を玳瑁或は六藏と云っておりました。婚禮に用ひた原因は、第一は長壽の 瑞祥として.第二には婦人の戒として六藏(龜)の如く夫の命に反抗せす、事有る塲合は頭尾手足を縮めて桑順に従ひ事無き時は頭尾手足を延べて進む可しと云ふ戒を忘れさせぬため、第≡には装身具として最も優美高尚で有りますから婦人の身嗜として鼈甲の櫛・笄・簪を用ひたもので有ります。何分昔は鼈甲は速く、唐の國から渡來したと云ふ貴重高價なもので、容易には用ひられませんでした。然し元禄時代になり世は泰平となり漸く一般的に華美を競ふにつれ、此玳瑁(鼈甲)の流行も亦再興して來ました。其後幕府は是等の華美贅澤を戒める爲め玳瑁製品を一般に用ゆる事を禁じましたが、何分古くからの習慣であり且つ装身具として無くてはならぬ物で有りますから、之れを全廃する事は出來なかったのであります。某藩主の如きは婚禮儀式に是非玳瑁が必要となりましたので、幕府に對し玳瑁は唐より渡来の高價品で有るが、日本の鼈の甲で作った物は用ひて差支無いかと伺ひを建てたところ、鼈の甲なれば差支無Lと許されましたので夫れ以來何時しか玳瑁或は六藏の名稱は鼈甲と改稱され再び盛に使用される事になつたので有ります。然るに鼈甲の愛用が旺盛になるにつれ一面割安酷似品の研究が起り.牛の蹄角及馬蹄を精製加工して鼈甲と殆ど酷似の擬甲を造り出し、恰も鼈甲製品の如くにして賣り 廣められるに至りました。(擬甲品に就ては鑑別法を別項に御話し申上げます)又外因殊に印度及支那の一帯である東亜は元より歐米各國でも遠くから其國々で多少異こそあれ、此鼈甲(トートイス・セール)は、魔除或は瑞祥等の表象として珍重され、我日本と同様に装身具其他の器具として愛用されて來ました。

先頭のページ 前のページ 次のページ >|