鼈甲製品の販路
鼈甲製品は世界の文明國程重用されて居りますが、從來日本内地に於ては長崎以外の地では婦人髪飾品のみが古くから到る所で販賣されて 來ましたが、大正年間に至り急速度に諸種の男子用品を始め、婦人装身具・化粧具・美術工藝品・文房具・食器・ 其他の器具類等が賣出されるやうにな少ました。是は長崎より特産品として帝都を初め各都市に漸次賣擴められました結果、日本文化の發達と風俗とにより自然の要求に合致し著しく需用が搗蛯ウれ、現在では何れの都市に於ても其影を見ない所は殆ど無いように行渡ってゐるので有ります。古來、長崎市に於ては特産品として外人向鼈甲製品を主として造って居た関係上、外 來人の土産品として多く版賣されましたが、叉一面には貿易品としてぼいつぼつ輸出されて居 たので有ります。所が明治の末期以釆、長崎は地の利に禍され外国貿易の商權が横演・神戸に移るに從ひ、外國艦船の出入激減し一時外人向鼈甲製品の衰退を出現するに到 りましたが、大正年間には再び長崎當業者の奮起により愈々外国と直接取引を開始する事となり、其販路も支那・南洋・印度を初め歐米各國に及び最近は世界各國より多くの引合ひを請ける状態に到達して居りまして、將來は此の輸出方面こそ最も大なる販路として期待されて居ります。
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