べっ甲という名称
現在私達は 「たいまい」 でつくられたものをべっ甲細工とよんでいるが、べっ甲という言葉の「べつ」は漢字の鼈の字であり、俗にいう「すっぽん亀」又は「みの亀」のことである。「べつ」と「たいまい」 とは別種のものなのである。このことについて、早くよりその相異を指摘したものとして寺島長安が正徳三年 (一七一三) にあらわした「和漢三才図絵」がある。図絵の第四十六介甲部「たいまい」 の項に次のように説明している。
または玳瑁(たいまい) 俗に亀甲を鼈甲と名づくるは甚だ誤りなり。
それでは何故「たいまい」と「べっ甲」が我が国では混同してしまったのであろうか。喜多川守貞の守貞浸稿 (近世風俗志) 第九編女扮によると 「たいまい」が贅沢品として販売禁止になったので商人はその代用品として 「すっぽん亀」 の甲を使用したり、玳瑁を「すっぽん」 と名づけて役人の目をごまかして販売していた。そのために「たいまい」と「べっ甲」が同一になったのであるとして次のようにのべている。
玳瑁を鼈甲と云事及用之事
余が所聞何の年歟、官命して?瑁の櫛笄を禁止す、其後粁商が塙瑁と云わず鼈甲と名付けて反之、
今の世人は鼈と云うを本名と思ふ人多く又官にても往に高価鼈甲を禁ず事あり、鼈は土鼈にて乃ち 俗に云う.すっぽん也。?瑁は珍宝の其一也。赱を奸商すっぽんに矯けて賣之し也。今は朝鮮?甲.紛鼈甲等の名ありて模造を巧にす、蓋朝鮮鼈甲も朝鮮?瑁也。漢人も?瑁の櫛等を用ふ赫胥氏治造に十四歯梳後世雑以 象牙玳瑠.為 之其製形如 八字 云々是剪燈新話八字牙梳白似 銀と云言の注也。又琉球用 之簪とし中山傳信録の風俗を云候に---。嬉遊笑覧に是等のことを云て皇国用 之者不 傳染一琉俗歟と云い 同書に天和貞享のことを云、心草子と云うを引いて逓通の?瑁の櫛云々と云り、貞享頃は鼈甲とは云ぎる也。
守貞がこの本を脱稿したのは嘉永六年(一八五三)のことであるので、右の文中に「今は朝鮮鼈甲・紛鼈甲等の名あり‥・-」 といっているのは十九世紀におけるべっ甲の呼称をいったものである。
私は両者を混同して使用するようになったのは、すくな-とも室町時代にはすでにおこなわれていたと考える。その例証として一六〇三年長崎のコレジオで、イエズス会の神父達とイルマン達の手によって、当時の我が国の人達が会話していた言葉を集録して編纂し、出版した日葡辞書(VOCABVL-ARIODAL-NGOADEJAPAN) に「たいまい」と「べっ甲」は次のようにのせてある。それによると 「べっ甲」 は薬用として使用すると説明があるが、これは恐ら-玳瑠の薬用を説明したもので、ここにもその混同がみられる。辞書の本文を引用すると
Becco CamenoCo 亀類の上部の甲羅
EECco 亀のから、すなわち甲で作られるある薬 (辞書の翻訳者の註としてCOの発音記号についてc@と書くべきで、COは誤りであろうと記してある)
Camenoco 亀の背▼Becco Taimai シナ人がそれでいろいろな物や細工物を作る亀の甲 (邦訳日葡辞書 岩波書店)
これによって、この辞書が編纂に着手された十六世紀末の我が国では亀の甲を総称してべっ甲といっていたことがわかる。その故に 「たいまい」も亀の甲であればべっ甲と呼んでもおかしくなかったのである。「たいまい」というものの説明は、亀の甲の一種で細工できるものと説明しているので 「たいまい」 という言葉は細工物として使用される亀という意味があったと考える。
我が国で亀の甲を使用した古い例としては亀トにそれをみることができる。中国にも亀トの法があるので、それと関連するものがあったのかもしれない。その亀卜の法は、亀の甲を焼いたり、棒で穴をあけたり、焼けた木の棒をもみこんだりしてできた「さけ目」の形によって吉凶を判断していたものである。これは朝廷の行事としておこなわれていたので平安時代の延長五年(九二七) に完成した延喜式の三、臨時祭の條に亀の甲を使用することについて次のような記録がある。
凡年中用いる所の亀甲 惣じて五十枚を限りとす。紀伊国中男作物十七枚、阿波国中男作物十三枚、
交易六枚、土佐国中男作物十枚、交易四枚.
同延喜式三十七典薬の諸国進年料雑薬の條に山域の国より鼈甲一枚、摂津国より鼈甲四枚と記してある。この鼈甲とは「すっぽん亀」のことであろうかo ここでは亀甲と鼈甲は区別され、玳瑁ともその区別があったのであろうか。
平安時代、鎌倉時代には当然大陸との交易品の中にはたいまい細工のものが持ち渡られていたであろうが、我が国ではあまり知られていなかったようである。
べっ甲が亀の甲全般をさすようになった時期は不詳であるが、「本草和名」に「亀甲 和名宇美加女」としているので前述の延喜式の亀甲はうみがめと考えてよいようである。すると玳瑁は海亀の一種であり玳瑁を亀甲と我が国でよんでよいわけである。このことは正倉院珍宝帳の前述の五絃琵琶も亀甲鈿捍撥とするのではな-玳瑠鈿とすべきところを、亀甲としているのは海亀の甲は全て亀甲という言葉で総称され、殊更に我が国では玳瑁・鼈甲という厳密な区別をたてず、亀甲と玳瑁は同じ意味をもつものとして使用されることもあったようである。鼈甲もまた亀の甲羅であり、鼈甲を字義のように「すっぽん亀の甲」と解せず、一般的に亀の甲とすればそこには海亀の甲も含まれ、一般には玳瑁と鼈甲が混同されてきたようである。特に我が国のように玳瑁を産することなく-、玳瑁はただ海亀の一種であるとの説明をきき、また鼈甲というむつかしい漢字に接した一般の人達はこれを 「すっぽん亀の甲」 という正確な字義を用いることなく-「べっこう」 という言葉は、単に海亀の甲のことと解していたのではなかろうか。この事実はす-な-とも十六世紀後半には、「べっこう」は「亀の甲」と同義語として使用していたものであることは、前述の日葡辞書の説明によってわかられるであろう。そこには鼈甲も単に 「亀の甲」とすれば玳瑁も亀の甲であり、玳瑁即鼈甲のよびかたが吾が国でなされていたと考える。
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