べっ甲細工の作業工程
昭和二九年渡辺庫輔先生は作業工程を次のように記しておられる。
一、細工技術の大略とその要点
斯業のこの技術こそ本邦独特の秘技であり他国人の追従を許さぬところで、またこの細工上における癒着技術こそが師弟間においても厳格な秘密主義を固持してきたのである。
本邦における当初の細工は、現今における外国人の細工と同様、一枚甲からの挽抜であった。ために不用な切屑が種々の型でできたのであるが、日本人的器用と勘の好さでその癒着技術の考案に成功し、現今ではその切屑の小片に至す迄巧妙に素材と接ぎ合わせ少しも廃棄することがない。
現今におけるその大略を次に説明しよう。
細工上においては、肉部を除き先ず鼈甲の原料である海亀の甲羅をはがなければならないが、これには肉部を除いた海亀の甲羅全体を水気のある土中に一週間乃至十日間うづめ土中にある各種バクテリヤ菌の作用で甲の附着部における各肉骨質を完全に漂化させた後甲羅のむくれ上るのをハギ取るのである。
この方法も公開伝授されず、従って徒弟間や地方細工人は煮沸したり、その他の方法を行っており、そのため鼈甲の素質を低下させる嫌がある。
従って現今においても師匠或いは斯業のベテランと称せられるものはこの方法を伝授しないのかもしれない。これで長崎産と地方産の斯品の優劣は既にこの当初から異っているのを察することができよう。
こうして一枚ずつハギ取った甲を、そのま〜では平滑でなく彎曲しているので、万力のような形をした器具の上で、この素甲一枚を平滑とするため(甲の大小にもよるが)、大略十一糎×廿四糎×十八糎位の何れかの鋳鉄製板 (厚さ一・五糎−二糎) 上において、この鉄板の冷却を応用し、これを別に炭火で焙った素甲を急速に人力による最大圧力を加える。これをプレス締めというがこれをおえたら、約五分−七分後これを取り出す。この操作を工匠は「万力で打つ」 とい〜また他の方法としては、素甲に布地を湿したものでこれを包み、前記した鉄板を炭火で焼きプレスを行い、軟柔として約十分の後これを取り出し風乾させる法もある。
こうして一先ず平面にして、所用大に鋸で切断し、厚さの一定しない箇所があれば「焼継」という方法を用いる。この方法は、素甲の薄い部分に斑点または色合をあわせて他の甲を重ね合わせ厚すぎる箇所は削りとり、一定の厚昧として、色の悪い所は切捨てながら斑点を望みのまゝ生かすよう取捨てながら順次に継合わせ、所用の大きさにし、適当な型に糸鋸で切断し製作にとりかゝる。
こ〜で先ずこの「継合せの方法」 に関して説明しなければならない。
これは継合わせる部分を雁木ヤスリ(又は雁切ともいう)という特殊ヤスリと、砂ヤスリ(サンド・ペーパー) 木賊、小刀の順で鼈甲のつぎ合わせをなす部分の傷、及びその部分の表皮と薄皮を取除き、汚物と湿気を完全にとり去った後、手掌にある油気や汗気をつけないように注意しなけれ ばならない。もし油気や汚物があればそれらの張力によってその分子の作用で附着しない。
この汚物と油気の除去を終わればこれを清水に一寸浸し、次にこれとは別に同じく清水に浸した柳の薄板(厚さ三粍一・五粍)を以て前記操作をおえた鼈甲を挟み、その上から炭火で焼いた金火箸(これは普通の火箸ではなく、ヤットコのような形をした大きなもので、別名、鋏ともいわれるものでその先端の厚さは三糎×二糎位の各種がある)もしくは前述した鉄板の焼いたもので鼈甲を柳板で挟み合わせ挿入し、前記したプレス台上で充分に締め圧縮すると、蒸気による鼈甲自体の粘力によって接着し、殆ど合わせ目が不明となり元の一枚甲の如き物質となる。
しかしこの方法は頗る簡単なように思われるが、焼けた鉄板の熱度を水に浸してその瞬間における水玉の上り具合、或いは水一滴を落してその瞬間における水音の具合などで加減調節をするなど極めて微妙な勘を必要としこの諸操作に熟練を要するのである。即ち本鼈甲自体の癒着に関してはその接着面に糊及びそれに類するような接着剤を用いるのではなくたゞ水加減のみでこれを行うにすぎない。
この際における水には一寸した汚物が入っても附着せず、塵、手汗、手垢などがまじったのでは全然だ目である。
また鉄板や火箸の焼加減が実に肝要でありその要領は焼鉄板、焼火箸の上に水一潤を落し、シューンと音がする加減でまだ乾きが若いか或いは過ぎたとかいうのであって、いわゆる勘の問題である。
この癒着には鼈甲が同質と同質なら水で行うが、鼈甲と他の擬甲(水牛角爪、馬爪等)とを接ぎ合わせる際(これを「張り甲」と称し表面のみ鼈甲を出すのが通例)には水を用いるのではなく鶏卵の白味をもって前記した方法によって接着せしめるのである。(これに関しては後述する)この技術こそなかなかの秘法であった。しかしこの技術は元文年間(一七三六⊥七四〇)に至って自然考案されたものらんく、バクチ好きの無名の一職人によってゞあるらしい。漠然としているが、左の文献を原文の儘掲載する。即ち、
安永二年(一七七三)版、全五巻、大阪永井堂亀友の「小児養育気質」巻三に 此処に東都十軒のほとりに亀屋九四郎(按ずるにこの名は亀の櫛という意で(作者の私構であろう、と称する鼈甲の櫛細工の上手、たいまいの上手、たいまいの照りに好き処を二分三分程のかけをもつぎ寄せ、少しも見えぬ様に仕立商なふ名細工人〜二月晦日京に上り、少しのしるべをたのみて覚し職を始めけるが、広い京に真似る者はない鼈甲の細工故、人に知られ、小間物問屋の大商人共、九四郎が細工を称美しけるとあり。是を見たる次の日旧友たいまい楼照寿老人の基に至りて、右の書面の事を語りて接合事の起立おぼえありやと尋ねしに翁謂ふやう、我等は今に三代たいまいの職を業とす。父は元文元年の生れにて享和十年酉のとし七十七にて身まかりぬ。父がはなしにきゝしは享保の中頃、長崎より江戸に来りし回国六部、べっこう職の者にゆかりありて枕をとゞめしうち、病に臥し日を全快したる謝礼にとてべっこうをつぐ事をしへやう。始めて櫛等の折れたるをつぐ事を知り、後には弟子にも伝え、世に広まりしが、未だ今の如く切抜つぐ事は知らざりしに、元文年間に至り職人中寄せ継ぐものいで来て追々広まりしが、未だ今のやうに鉄拐をはめて継事は知らざりし故、けふは誰の所にてつぐ日なりとてそこに集り、代るがわる 鋏を握りて継ぎ、互に助け合ひけるに、仲間の中に一人他人の力を借らず、人よりは多く細工を為す者ありし故、其術を尋ねしに秘して教えず然るに此職人賭に身を果し、細工道具を箱に細め錠封して質入れし京に上りし後、絶えて音信無き故、職人共いで合せ、斯の質物を受出し、箱を開きて、始めて道具の便利なるを知りけると、父が聞ったえし、とてかたりけり。
とある。即ちこの箱の中のものは鉄箸と柳の木片だった。
この話に関しては各種があり、こゝに参照した文献は相当読みづらい箇所もあるが、要はこの文献に見られるように、この接着技術が如何にセクションを墨守していたか推察に足るものであろう。
二、研磨及艶出に就いて
長崎製の細工品の有する特色はこれにも存する
先ず鼈甲細工を行うには原料を切断し雁木ヤ鉄(鉄箸)にて前述の継合せを行ひ、適当な型に糸鋸を以て切抜く訳であるが、彫刻等に関しては原図を日本紙に画き、これを型取った素材に糊ではり附け、その上を原図通り彫刻刀で以て刻みこれを行うのである。
この外ブローチ、シガレットケース等は金具を配する。これにはその部分を穴空けし、次に金具を熟し鏝にて圧押しこれを固着せしめる。次に、櫛等にマキ絵を配するには、青貝等を特種な方 法によって意の儘の型に打抜き、鶏卵の白味を以て前記した方法によって接着せしむるのである。
これらの諸操作を終れば此処で述べるところの研磨から艶出に移る。
研磨の方法は、小刀での地作りの後、苦は鮫の皮と木賊、椋葉の順にそれを行っていたが、現今は鮫の皮の代りにF版のサンド・ペーパーを用いる。しかしその順序は昔と異ならない。
こ〜で記述しなければならないのは椋の葉に関してゞある。現在でも斯品製作上最善の光沢を発揮させる為この葉は必需品であり絶対に欠くべからざるものであるが、これに就いては小刀で切作りした後他のペーパーや木賊にて研磨してもキメが荒く、亦これだけで済ませては鼈甲自体の特色ある光沢が全然ないので、この光沢を出すため旧来の伝習により椋の葉を使用するのである。
椋の葉は土用に入ったものを採集し、これを風乾せしめて保存に便ならしめる。土用に入った椋の葉を採集する理由は土用の太陽光線が強烈で、故にこれを化学的にいえば植物特有のクロロフィール(アルファー)及びクロロフィール(ベーター)よりなるカロチン及びキサントフィールなる二素の色素、即ち葉緑素が多く、これによって椋葉の微細な毛質が硬くなりキメが締って来ることによってこの時期に採集するのである。
その他の樹葉を用いてもキメが椋葉の如く微細ではないので、従って光沢を出す工程には不適となる。正封師談によれば、比較的に椋葉の代用となるべき近いものは篠(ササ)の葉があるが、これとて前者との比較にはならない。
椋葉を風乾させるとその葉緑素は他の木葉と同じくフエコインク色素及びフエコキサンチン等に よって茶褐色に変じるが葉の表面における毛質は硬化する。従って使用時にはこの乾燥した葉を清水に浸し、水気を帯ばしめて柔軟とするが、余り水気を帯ばしめ過ぎるとその毛質が柔軟となり鼈甲面を研磨する事が困難となる。従って椋葉の浸透時間は約五分以内が適当である。
これを指先に持ち、たえず加水し研磨を行う。
この研磨及艶出の方法は「古典式」と「近代式」の二つに区別される。
古典式艶出しに就いて
これは先ず型取った素材を雁木ヤスリにて庇や油気を除き、通常のヤスリで本型をとり、これらをF版のサンド・ペーパ1で磨き、ヤスリの疵を取除き、更にサンド・ペーパーの疵を除く為めキサギ刀で充分地ならしを行い、木賊、椋の葉の順でキサギ刀の疵を加水研磨しこれを終われば湿った椋の葉で加水することなく順柔になった椋の葉で充分研磨し、亀甲紛を表面に生ぜしめ、次にこれとは別に鹿角粉(ツノコ=鹿の角を焼いて製した純白色の微細な粉末)をマサ目の少い桜の版上にて表面の滑かな堅い陶器の如きもので充分こね廻し、荒紛のないよう注意しこれを羅紗地に附してこの粉末の逸散を防ぐ為と研磨による焼附を防ぐ為に、極微の水を附して指で前記した鼈甲面を充分に磨くのである。しかしこの研磨中において鼈甲と羅紗地の摩擦に依る焼附を除くため時々細工人は自分の唾液を附けながら磨くのであるが、これで大体の色艶が出て来たところで、今度は鹿の揉皮に前記した鹿角粉を附して鼈甲面を充分に磨き、そして最後の仕上には「手艶」と称して手掌の油気を充分除き、手掌にて根気よく鼈甲面を研磨して此処に仕上を終わる。この操作中、細 工品に手汗、垢及油気等を附しては絶対に光沢が出ない。従って不潔の如く現われるが細工人はアルカリ分のある自分の唾液にて研磨するのは焼附防止の外、これも基因するのである。また研磨順序及びその工程をおこたれば全然光沢を発揮することが出来ない。そしてその研磨操作の或一つが充分でない場合は出来上りが鏡のような照りを発揮しない。
この方法は往時より行われていた方法であり、鼈甲及擬甲の真の光沢を表す最善の方法で、これによって出来る照りこそ長崎製品が世界に誇り得る処のものである。(角粉の代用には歯磨粉を以てしても差つかえない)
近代式艶出しに就いて
地方製や、長崎でも大店舗等ではこの方法が用いられている。
これには「ハブ磨」と称する機械(動力は電動機を用い普通二分の一馬力)に綿製ネルを重ね合せ、これをグラインダーのように急廻転させ、研磨剤を以て古典式の及ヤスリ、木賊、椋葉の各研磨法の代用をなし、一操作によってその各種工程をすませ、そして薬品を以てその仕上磨をなす方法であり、労力の節約という見知から推すると最も簡単ではある。また前述のハブ磨を以て大体の艶出をなした上、古典式艶出法の仕上に関する艶出の「手艶」を加える法、即ち近代式と古典式を併用したものもある。
これら艶出しの方法はやはり前記した古典式による艶出しが最も優秀であり、原始的ではあるがこの点においても長崎の製品は本邦各地の製品や外国製品の追従を絶対に許さぬものである。外国や本邦各地においては艶出し工程の順序を省き酸類を以て仕上を速かならしめ等しているが、手数な方法を用いる長崎製品とその優劣は全然比較には価しない。
細工品中、彫刻や蒔絵を施してあるもの、或いは櫛の歯の側面等の磨に用いる布地を指に当てまた刷子等にてその先端に白土を附して気永に磨き、角粉を以て之を行いその仕上に関しては手掌の油気を除きこれで充分摩擦してその仕上を完了する。即ちこれが前記した手艶である。この照りの発揮こそ長崎に於ける鼈甲製品の有する独特のものであることは前述した通りである。
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