庶民の心情も、世界の地理も、どちらも深く理解した町人学者
1648〜1724 (慶安元年〜享保9年) 天文・地理学者。安井算哲ともいう。求林斎と号した。 長崎生まれ。長崎で儒学者南部草寿の塾に学ぶ。儒学と南蛮系天文・暦学・地理学などを修めいち早く「地球球形説」を唱えた人物であった。著した「町人嚢」「百姓嚢」では、町人や農民に道徳を平易に説いている。その一方、「増補華夷通称考」では中国、西洋、南洋の風土や文化を国別にまとめるなど、長崎で得た知識をもとに天文、暦、地理関連の先駆的な著述活動を行った。享保3年(1717)徳川吉宗に招かれ江戸に赴き、天文、地理の講義を行った。翻訳出版により欧州天文学の紹介に務めるとともに、渾天儀を簡略化した簡天儀を作製した。 20編ほどの著作を独力で刊行し地理などに係るものとしては「天文或象」「日本水土考」などがある。
参照 江戸ネット.江戸人物事典.住田文庫デジタル資料
京都外国語大学図書館史料.岩波文庫コレクション