たとえ何があっても 病気と喧嘩をしてはいけない
いのちと向き合うということ
永六輔氏からの遺言 (いげん ・ 故人が後代に残した言葉)
わたくしと永六輔さんとの出会いは1991年 べっ甲の原材料である玳瑁亀(タイマイガメ)の完全輸入禁止が決まった頃でした。筑紫哲也さんのテレビ番組 「ニュース23」 に永さんが出演されていて 「べっ甲の原料を勝手に輸入禁止にするのはけしからん・・・」 と熱く語っておられた姿を見て 「この人 川口鼈甲店の広告塔として使える」 と思ったことがきっかけでした。「自分が永六輔のファンになるのではなくて 永六輔を川口洋正のファンにする。この人から一目置かれる存在になりたい」 と真剣に思いました。若さ とは バカさ です。いま思えば身の程を弁えないにもほどがあるということです。わたくしが32歳 永さんは58歳でした。
我が家は大阪有線放送を契約していましたので長崎でTBSラジオを聞くことができました。そして土曜日の朝 何気なく有線放送のチャンネルを回していて 偶然 あの独特の笑い声を耳にしました。「永六輔だ… 」 と思いました。「来週のテーマはなくなってしまったもの なくなりそうなもの です。みなさん お手紙やおはがきをください」 という言葉を聞いて 「永六輔との出会いのきっかけはこれだ」 と感じました。べっ甲のことを書いたはがきをTBSに送りました。次の土曜日 わたくしのはがきが読まれました。「この番組は関東地方の方にむけて放送されているのですが 長崎からわざわざ有線放送で聞いてくれている人がいます。嬉しいことです」 という一言が添えられました。後日 永さんからお礼のおはがきをいただきました。
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