わたくしが先に永さんと距離をあけましたのでこの約束は果たせませんでした。そして永さんは醜態を晒しながら最後までマイクを離しませんでした。わたくしはあえて沈黙を通しました。
自分が永さんの葬儀やお別れの会に参列しないということはまったく想像していませんでした。人間関係は揺れ動くもの そういうこともあるさ と思っていました。
11ヶ月後 2017年6月 NHK横浜放送局で番組制作をやっている方からメールがはいりました。「永六輔さんのお孫さんが祖父と親しかった人を訪ねて話を聞くという番組を企画しました。川口さんからの手紙や葉書が大切に保管してあったので話を聞かせてほしい」という内容でした。ほんの一瞬 すれ違っただけのわたくしごときつまらない人間を永さんが大切な存在として評価してくださっていたことに驚きました。あんな駄文を連ねた手紙はとうに捨てられていると思っていました。
それでもメディアを連れてお孫さんがやってくるというその行為には腹が立ちました。納得できませんでした。永さんのお嬢さんの言動を垣間見るにつけ 「子育ては難しいもの。あれだけの人でも子育てには失敗している。父親の良いところを受け継いでいない」 と感じていました。お孫さんが母方の祖父を最大限に利用するという処世術はあっていいと思います。しかし祖父永六輔は母方の祖父の七光で名を成したわけではありません。何もないところからひとつひとつ積み上げていった人です。ほんとうに祖父のことを深く知りたいのであれば祖父の友人知人に聞くのではなくて祖父が残した文章をそらんじるくらい読み込んでいくことで 日々の生活のさりげない瞬間に 祖父の心に触れることができる そういうものだと思います。日本人は基本的に故人のことを悪く言いません。祖父の親しかった人を訪ね歩いて祖父を賛美する言葉をどれだけ聞いても祖父の心の本質に触れることはできません。そういう耳に心地よい美談は自分の人生においてなんの意味もありません。祖父から学ぶべきことは ほんの些細な言葉もその意味を深く検証して大切に使っていく 建築の世界の設計者や神業を身に着けている職人が1ミリの大きさを知り1ミリの誤差を許さない緻密なお仕事をしていることに相通じる 「話の職人」 の域に達するための愚直な姿勢なのではないかとわたくしは思います。祖父についてのことをインタビューして書き連ねる テレビ番組をつくる.それは祖父の自慢話です。第三者がするのであれば意味がありますが血縁者がやるのはいかがなものか.永さんが 恥ずかしいこととして最も嫌っていた自画自賛です。NHKの暇つぶしの気まぐれとお孫さんの売名行為に利用されるのは御免被ります。永六輔という人間は 「同じように見えるけれど実はまったく違うものである味噌と糞の違い そういう筋を神経質なほど大切にして何よりも重んじる人だった」 と思いました。永さんの外孫だからという理由だけで土足で人の心のなかに踏み込んでくる行為は無礼です。永さんの御命日である7月7日にNHKから取材のお電話がありました。取材担当の方の 「永さんは川口さんのどこに魅力を感じていたと思いますか」 という質問に 「わたくしがあまりにもバカだったから永さんは気にかけてくれたんだと思います。わたくしへのインタビューなんて滅相もない」 という言い回しで取材をやんわりとお断りしました。「今日は永さんの命日.これは永さんの魂が呼び寄せたものかもしれない」 と想像したとき 鳥肌が立ちました。それでも それとこれとは別です。優柔不断で考えが浅くちゃらんぽらんだったわたくしは永さんから重箱の隅をつつくようにその一挙手一投足について筋を通すことの大切さを指摘されてきました。40歳年下の永さんのお孫さん宛に謙ったお詫びのお手紙を出しました。亡き永さんへ筋を通すということでした。お孫さんから返事はありませんでした。
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