それから4年後 2001年 急に体調が悪くなり入院 危篤状態になりました。3日後に意識が戻ったときには生命維持のための24時間の人工透析を受けていました。腎臓が壊れているという現実を受け入れるのに数日かかりました。親しくしていた弁護士の松尾千秋先生に相談しました。「商売は知力気力体力が充実していないとうまくいかない。ひとつでも欠けてしまったら駄目。ダメなものはダメ ということで閉店しろ。そして 体力が戻る日が来たら再開しろ。それまで諦めるな。人間は生きていてなんぼなんだから。今日の相談料はいらない。俺は本当に窮地に立たされている人間からお金をもらうほど落ちぶれちゃいねぇ。僕からのお見舞いだと思ってくれ」 と言われました。長崎市浜町春雨通りに出していた小さなお店を閉じて完全閉店しました。4ヶ月の入院生活のあと無事に退院 永さんに近況を綴ったお手紙を書きました。「そんなこととはつゆ知らず 長い間 お疲れさまでした。 これからは長く生きることだけを考えて時間を過ごしてください」 というお手紙をいただきました。「ちょっと待て。死の淵から生還してきたということと ただ漠然と余生を生きることはつながっていない べっ甲のお仕事 諦めたわけではない なにかのかたちで再起するという宣言文として手紙を書いたのに 勝手に人のことを終わらせるな」 と心の底から腹が立ちました。2001年7月のことでした。「元気になって東京へ行って永さんに文句を言わなければ腹の虫がおさまらない」 と思いました。そして毎日運動をして体力をつけました。
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