1997年3月 長崎市の歓楽街である思案橋通りを永さんと2人で歩いていて 「ろれつが回らなくなってもマイクにしがみついている人間が何人もいるでしょう。僕はそんな醜態だけは晒したくない。でも 必ずいつかその日は来る。その日が来たとき 僕に引退を勧告してくれる友人はいない。みんな遠慮して云わないと思う。僕は君に べっ甲はもうダメなんだから 滅びることをアタマの真ん中で考えるところからはじめるべきだ  と言った。 君は大きく頷いて笑っていた。修羅場の真ん中にいる人間を僕はたくさん見てきたけれど君のように底抜けに明るい人間ははじめて。つらそうな顔をしているけど明るい。君には何かを期待したくなる。 こういう残酷なことを笑って語り合えるのが友達というもの。親子ほど年齢は離れているけどずっと友達でいてほしい。そしてろれつが回らない兆候が出てきたら僕に引退の引導を渡す役割をお願いしたい。紅白歌合戦で一斉を風靡していた三波春夫さん いつのまにかいなくなった。川口べっ甲店 べっ甲がもてはやされていた時代があった。でもいまは…。  あのすごくきれいなお店 なくなったしね。いまだから言うけど はいりにくいお店はどんなにきれいでも長く続かないよ。三波春夫さんの富士山を染め抜いたすごい着物姿と同じ。三波春夫さん 新しくなろうと努力している。だから僕は応援して広報部長という名刺までつくって配って回っている。 僕のなかでは三波春夫と川口洋正 は同じなんだ。これからどういうふうに変わっていくか。野次馬なんだけどとても興味がある。いまの僕の趣味は三波春夫と川口洋正 でもこのことは川口さんには言えるけど三波さんに言ったら怒るよね。 潰れたべっ甲屋の若い店主といっしょにするなってね。 ところで 川口さん 今度 会ったときプリクラ交換しよう。いまプリクラに凝っていて…。」 という会話をしました。

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