そういう経緯がありましたのでわたくしが倒れたとき橋本さんに連絡を入れていました。9月にはいり少しだけ体力がついてきました。東京へ行って永さんに一言文句を言おうということになりました。祖父が愛用していたべっ甲の杖を突きながら空路上京しました。9.11の次の日でした。羽田空港の滑走路に日の丸がはいった政府専用機が着陸していました。非常事態であるという実感が湧いてきました。TBSに伺い橋本さんにご挨拶をしました。「明日 できれば土曜ワイドの生放送のあとスタジオで永さんにご挨拶をしたい」 と伝えました。「それはいいことだ。永さん 川口さんのことを心配していたから喜ぶよ」 ということで即決で話がまとまりました。永さんに文句を言うために上京してきたことは橋本さんには内緒でした。
翌日 午後 番組終了の30分前にスタジオのガラスの外のミキサー室にはいりました。番組終了 翌週の番組宣伝の録音が終わりました。 永さんは慌ててスタジオの中の受話器をとってどこかに電話をかけていました。30秒ぐらいの短いものでした。そしてスタジオから出てこられました。 「こんにちは いろいろありましたがどうにか生きています あの…」 怖い形相で話を遮られました。「僕はこれから忙しい。君の話を聞いている暇はない。君が言いたいことは君の顔を見たときに全部わかった。だから何も言わなくていい。君の気持ちは全部わかった。それじゃ」 と言ってミキサー室から出ていかれました。そして忘れ物を取りに戻ってきたようなかんじでミキサー室へはいってこられました。「川口さん 君にひとつだけ言っておきたいことがある。いいか 何があっても病気と喧嘩はするなよ。いいか たとえ何があってもだそ。 うちにも一人病人がいて 実はその世話で大変なんだ それでも病気と喧嘩はしていない。 病気と喧嘩をしても何も良いことはない。 ちゃんと伝えたからな。 いいか なにがあってもだぞ。 縁があったらまたどこかで会いましょう」 と言われました。永さんは容赦なく厳しい人です。わたくしが答に困る質問をしてしどろもどろになる姿を見て高笑い そういうかたちで宿題を投げかけてくださっていました。しかしあのときは殺意を感じるほどのすごい形相でした。「なぜ 自分はこの人から鬼のような鋭い目つきで睨みつけられなければいけないのか」 ということで頭の中が真っ白になりました。言っていることの意味もわからない。ちんぷんかんぷんでした。永さんは68歳 わたくしは43歳でした。
TBSをあとにして 昼食を取ることを忘れていました。「若いお姉さんを見て自分を取り戻したい」 と思いました。表参道から原宿へ歩きました。1時間あまり通りに立ち尽くしました。「よくわからないけどこんなときにお姉さんを見たい バカだなぁ」 と思いました。あとでわかったのですがわたくしが散策した場所は永さんの自宅の近所でした。 最終便の飛行機で長崎に帰りました。
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