「誰かとどこかで」 のパートナーだったフリーアナウンサーの遠藤泰子さんとはずっとメル友をさせていただいています。 その昔は東京で何度かお酒をご一緒していました。
永さんが亡くなったとき 「心の中に大きな穴が空いて自分を見失いそうです。大切なことをたくさん教わりました。でもそれを人に伝える言葉を持ち合わせていません。誰かに語り伝えていかなければと思うのですが 自分の未熟さを恥じるばかりです」 という主旨のメールをいただきました。 (ご本人の承諾をとらずに内容を書いてしまいました)そのときはなんとなく 「そんなものなのかなぁ」 と思いました。しかし時間がたつにつれて遠藤泰子さんの言葉の重さがわかるようになってきました。そして 「自分もいつか誰かに伝えなければ」 と思うようになっていました。
「何があっても病気と喧嘩をするな」 という考え方を 身代を潰したべっ甲屋の4代目のバカ店主が言っても人様への説得力はありません。
それでも 自分にできること 自分が伝えられること という原点に立って 永さんとの一部始終を書き留めることにいたしました。
永さんは伝えたいことがあったから徹子の部屋に出演して醜態を晒し続けた。誰かに何かを伝えるのであれば晩年の野坂昭如さんのように執筆によって発信することもできたはずです。どんなに綺麗事を並べても永さんは 「スポットライトの下にいたい」 という本能のまま行動しただけではないかとわたくしは思っています。人はそんなに強いものではありません。小さくて弱くて悲しいものです。川口も伝えたいものがあるからYahooオークションに顔を出し続けている。他のべっ甲の出品物にはほとんど入札がかからないのに川口の商品は定価超えすることがあるという身に余る高い評価をいただけているスポットライトの下にいたいだけ.それでも潰れたお店は晩節を汚すことなく潔いかたちで散ってなんぼ  醜態を晒すな。見苦しい というのが長崎の方々の評価です。永六輔と川口洋正 比較してはいけないのですがその根っこにあるのは同じようなもの 永さんの醜態 責められない と苦笑しています。 

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