玳瑁考 (其の一) はじめに
現代の長崎地方では玳瑁という言葉は一般に使用されずタイマイはベッコという言葉で通称されている。
平成二年十一月二十日から二十二日まで長崎市においてタイマイ国際シンポジウム・イン長崎90「タイマイの資源管理は可能か否か」の国際会議が行われ、アメリカ、キューバをはじめ世界15ケ国30名の人達が集まった。私はそのとき「タイマイ文化考」と題して記念講演を行った。そして、本大会の主旨については大会委員長の中古賀文樹氏より次のような話があった。
べっ甲産業の原料であるタイマイ″は、ワシントン条約により最も厳しい第一種に規制され、種の保存については絶えず議論の集中している業界であります。
私達業界も資源の保護なくして、業界の存続はあり得ません。その意味では、ワシントン条約の趣旨と、私達との目標は共通の関心事であり、学者と業界と憚倖なく話し合う機会を考えておりました。
この度、IUCN/SSC委員長カレン・ブロンダール博士、並びに内田博士の御好意により世界の15ケ国の学者をお招きして、伝統ある長崎の地で海亀国際会議を開催する運びになりました。
幸い、環境庁の御支援も賜り、各官庁、地方自治体、業界関連の各皆さまにお集まり頂き、将来のビジョンをお示し頂き意義ある会議を持ちたいと考えております。
来る一九九二年三月には日本で初めてワシントン条約第8回締約国会議が開催されます。
地球環境規模の中での野生生物保護の気運は益々募り日本政府の対応が全世界の注目を浴びることと思います。
四四〇年の伝統を持つ、このべっ甲業界の灯を消すことなく次の世代に引き継ぐことが出来るや否やの重大な会議と認識して居ります。
私が玳瑁の研究を始めるようになったのは、昭和五十七年十月長崎鼈甲商工協同組合理事長中古賀文樹氏より長崎中小企業対策臨時措置法による産地振興対策補助金による長崎県地場産業の代表的産業に選ばれた「べっ甲」について解説したものを記述してもらいたいとの依頼があり、一応、手許の資料を集め、昭和五十八年三月「長崎のべっ甲」と題して、長崎鼈甲商工協同組合・長崎玳瑁琥珀貿易協同組合・長崎鼈甲装飾品事業協同組合の三組合共同にて非売品として同書を発刊したことに始まっている。
其の後昭和五十九年二月宮内庁正倉院事務所調査室木村法光先生が来崎され長崎べっ甲一般について調査をすまされ正倉院に帰られて後同年四月九日の同調査室長関根真隆先生より次のような来信があった。
先般来、当方の木村が参上いたしました節、種々ご配慮いただき有難く厚く御礼申し上げます。
所内で集まり、木村氏の報告をききましたが、とくにタイマイ如意の接合部について専門の方の御意見、興味深く思いました。これを機会にまたご教示をお願いするかもしれませんが、その節は何分よろしくお願い申し上げます。
以来、関根先生と私の手紙の往復があって正式に宮内庁正倉院事務所長より「玳瑁製宝物材質調査」の依頼があり、調査に出張したのは正倉院が年に一度開かれる昭和六十一年の十月下旬、すなわち十月二十七日(月)午前九時より十一月一日(土)正午までの六日間であった。
然し、この調査は翌年も引き続き行われることになり、昭和六十二年度は十月二十六日(月)から同三十日(金)までの五日間奈良の宮内庁正倉院事務所に出張した。
調査にあたって、私はベッ甲の製作技術については専門家ではないので、現在の長崎ベッ甲技術者としては最高年令者であり、経験の深い菊地藤一郎氏(明治三十八年十二月十石生)と玳瑁材質の専門家として永沼武二氏(大正三年三月二十二日生)の御二人が調査に加わることについての依頼があったので、私達三人は昭和六十一年九月より調査に関する準備をすすめ十月二十六日午前、三人同行にて奈良にむかった。 、
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