正倉院の玳宝物の工芸技法について
「上記のべっ甲細工具は明治、又ほそれ以前から昭和三十年代まで使用されてきた道具」
@ 紬免切鋸 甲羅の、粗裁したのをキチンと定め、裁断するとき使用のノコ
A 裁 鋸 甲羅の粗裁の時、最初に使用するノコトコ
B 金板ハサミ 熱した鉄板を挟むヤッ
C 万 力 甲羅を熱して真っ直ぐに、又は平に延ばしたり、或は二枚の熱した鉄板を
板に挟んだ中の甲羅を合せ継ぐとき、上と下からその熱鉄板をハンドルで
ぐるぐると回し下へ締めつけていく道具
D 金 板 金板(鉄板)は、二枚必ず備えておく
E 角着押鏝 カギになり先が尖った焼コテ。熱して隅のほうを押し乍ら接着する押コテ
F 押 鏝 強く押すのに用う。これを一般に多く使用する
G 鉤 鏝 へこんだ簡処を熱して押して接着するコテ
H 火 挟 大きなヤットコをヒバシという。細い物とか巾狭いべっ甲を幾つもツナグハシ叩のに熱して挟んでおき中から「ハシ叩」で輪を叩きながら強く締めつけ 接ぐのに使用の道具
@ 切 回 し 錦 糸のこで曲線を回し切る道具
A 玉 当 り 生地の厚美を計る道具
B 小 ば し ネジを締め、はずす道具
C 回 い 錐 糸鋸を通す、又は穴あけに使用の道具
D ネ バ タ 棒 キサゲの切れを良くするために使う道具
E 毛 引 型打ちに毛書きする道具
F カンギリ歯立テ 削るカンギリの切れをよくするための目立て用道具
G キ サ ゲ キズを除いたり最後の仕上げに使う
H 仕上カンギリ 小口、又は細い箇処や隅を整うのに使用する
R 平カ ンギリ 小口や、細い面、または継ぎ面を削る時使う
J カ ン ギ リ 平面を一定にする削りに使う
K 荒カ.ンギリ 荒削りの道具で、生地の厚い面を整える
昭和六十一年十月二十七日から同三十一日までの五日間、昭和六十二年十月二十六日から同三十日までの五日間、の二理延べ十日間に亘り正倉院?瑁宝物の技法・材質等の調査を依嘱され、ここにその調査を総括した結果を報告する。
調査は長崎に伝承されている「ベッ甲加工技術の専門家」菊地藤一郎による技法並びに材質の調査を中心にして行い、さらに父の代より「ベッ甲材料商」として経験のある永沼武二による意見を参考にして実施したものである。又、越中哲也は、長崎歴史文化協会を主宰し、長年べっ甲の文化史的研究を行っており、今回の調査の全体の推進役として参加し、菊地、永沼の両名の見解をきき、越中が総合的にまとめ記述した。
尚、タイマイの種類・生態など自然科学的立場による調査・見解については名古屋港水族館々長・内田至氏より解明・報告されるので、菊地・永沼南名の調査は主として「ベッ甲工芸家」としての経験をもとに材質・技法等の解明を行った。
両名の調査は視覚をもとにした肉眼及びルーペ、顕微鏡による観察をもとにして、紫外線・赤外線による撮影も参考にし、更に明解な回答が困難な場合は菊地の経験により判断した。
まずタイマイの素材については、正倉院の?瑁は現在使用されているタイマイまたは正覚坊と同種のものであると判断した。それら亀類の生息地を中国大陸の南方海域とすればタイマイの素材は直接我が国にもたらされることがあったとしても、それは非常に稀なことであって、これら の素材は中国大陸を経由して我が国にもたらされたと考えられる。また正覚坊は現在でも我が国近海にも生息しているので正覚坊の甲羅は容易に入手できたであろうと推測した。
正倉院のタイマイの技法も、タイマイが持つ材質の特性より考えて、技術的には江戸時代より現在まで伝承されている「ベッ甲細工」の技法と殆んど変わることばあるまいと考えられた。
ベッ甲細工の工具については、正倉院時代の工具は現存しないが、その細工よりみて、現在我々が使用しているベッ甲工具とほぼ同種の工具を必要としたと考える。但し、万力については大正時代以後より使用したものであるが、この万力の働きをする工具はベッ甲細工には必要の品であり、上代には吾れ吾れが明治時代まで使用していた木製のカシメに木槌を打ちこむ工具が使用されていたと考える。また細工場で鏝を使用するとき、炭火を入れた小さな炉を傍に置き、鏝をあたためながら細工した。
工具類の図絵については、天保十二年(一八四一)に金子直吉が編した「玳瑁亀図説」 (複版・東京鼈甲組合連合会発行・昭和五十七年)天の部五十八葉に当時の工具類が描かれているが、これは工具類を考える上で大いに参考となる。また工具類は、職人が自分の好みに応じ、鋸-小刀・鏝にしてもそれぞれが型をきめ自分の手に合うようにつくっているものが多い。
タイマイを物に接着する際の接着剤については、科学的分析が必要であるが、現在まだ行われていないので確実な判断は下せないが、昔より「ベッ甲」の接着剤としては、卵白をベッ甲の裏に塗り、ベッ甲の表より熱い鏝をあてて熟を加え接着する方法と、油気のない水による方法、接着場所によっては膠を薄くしたものによる接着の技法がとられてきた。正倉院のタイマイの接着についても、ほぽこれと同様の接着技法によったものと考える。またアオウミガメの場合も同様の接着技法が可能であり、明治の修理の際の接着も以上のような技法により接着されたものと考える、、
ベッ甲の材質を細工人が区別する場合、南洋産のベッ甲は主として江戸時代末より唐船の人達(明治以降は華僑)が取り扱ったので「南京甲」と呼び、これが主材料で、カリブ海産のベッ甲とは区別した。
上甲……甲一面に飴色が多く、斑の部分(黒色)が少なく表面にキズや貝殻付着がない
中甲……飴色と斑が半々にある
並甲……粧の部分が多く表面にキズあり
爪甲……タイマイ側面の甲
腹甲……腹部の薄い甲
「玳瑁亀図説」を参考にしてべっ甲の材料を記すと、次のようになる。
玳瑁の甲は十二枚でつくられており、この一匹の亀の甲十二枚を木綿の赤紐で一連にくくり、これを一堤といった。この一堤十二枚は次のように分類されている。
一、襟甲 俗にトビ甲という。他の甲より肉薄く色合や劣る。(黒斑)
一、肩甲 鮒甲ともいう。トムビ甲の下にて厚く、色合トンビ甲と同じ
一、背甲 背の中の甲、肉中心、色合きはめてよし(赤斑)
一、大甲 俗に量甲という。鮒甲につずきイテウ甲の上にあり 襟と尾の真中にあり、肉合申分、平均し
てのび、色合きわめてよく、価も高し(赤とろ十斑)
一、銀杏甲 尾の脇の甲左右に相対す 亦ヤキメシ甲ともいう。色合量甲につぐ(赤斑)
一、背量甲 背通り五枚の終り 肉合きわめて厚く 色合銀杏甲に次ぐ(うす黒の斑)
この他に玳瑁については前述した玳瑁爪と玳瑁の服甲がある服甲は玳瑁の腹の甲であるが驚くほど高価であるといっている。現在でも服甲は高価であるという。それは一般に好まれる飴色べっ甲と称するものが、多くこの部分からつくられるからである。
正倉院のタイマイ細工の素材となったものはアオウミガメを含め、現在生育しているタイマイより更に大型のものであったと思われる。
タイマイに関する研究書は非常に少なく、まとまったものとしては、先述の江戸時代の末・天保十二年に金子直吉が編した「玳瑁亀図説」 (東京国立博物館・東京芸大・国立国会図書館の各館所蔵)がある。
我が国では現在タイマイのことを「ベッ甲」という名称でよんでいるが、このことについて「守貞漫稿」 (嘉永六年(一八五三)刊・喜多川守貞著)には次のように言っている。
鼈は土鼈にて乃ち俗に云う、すっぽん也。?瑁は珍宝の其一也。夫を奸商すっぽんに矯けて売乏し也。今は朝鮮鼈甲等の名ありて模造を巧にす。蓋朝鮮鼈甲も朝鮮?瑁也。……貞享の頃は鼈甲とは云ざる也。″
しかし寺島良安が正徳三年(一七一三)に著した「和漢三才図絵」第四十六介甲部たいまいの項にすでに
?瑁または玳瑁、俗に亀甲を鼈甲と名づくるは甚だ誤りなり。″としている。
延宝四年(一六七六)密貿易のことで遠島になった長崎代官・末次家四代・末次平蔵の「諸道具御拂之品之覚」 の中にすでに次のように、 一、べっこう かみさし 壱つ″と記してあるので、ベッ甲とタイマイのよび名の混同はすでにこの時代にあったと考える。更に、通航一覧百五十五の寛文八戊申年三月八日御吟味之上、唐船より日本之持渡候品々、御停止被仰付候の品目″ の中にすでに鼈甲の記載が次のようにある。
作り物 但鼈甲・角類・煉物・人形・匂袋・花類
これによると寛文八年(一六八八)にはすでに鼈甲の用語がタイマイにかわって使用されていたと言えよう。
更に、これより先、一六〇三年長崎のコレジオで、イエズス会の神父達とイルマン達の手によって、当時の我が国の人達が会話していた言葉を集録し、編纂し、出版したくOocabulariO Daingoa De Japan(日葡辞書)の中にべッ甲とタイマイの言葉が次のように区別してある。
Becco Co 亀類の上部の甲羅
Becco 亀のから、すなわち甲で作られる薬
Cameno Co 亀の背Becco
Taimai シナ人がそれで、いろいろな物や細工物を作る亀の甲
ベッ甲は当時すでにタイマイと混同して使用されていたのではないだろうか。中世の末、我が国にタイマイの細工物を持ち渡ってきていたのは唐船であったと考える。そして、その亀の甲は薬用としても用いられたのである。
ポルトガル船もタイマイを我が国に持ち渡っているし、ヨーロッパにも持ち帰っている。そして、そのタイマイを作る技術者もヨーロッパにつれ渡っていったと考える。それはセビリヤ(スペイン)には十七世紀すでにタイマイで作られた大きな銀の装飾のついた十字架が作られているからである。またスペインには婦人がベールのために使用する大きなタイマイの櫛(Peintu)があるし、十七世紀に赤色を帯びたタイマイで作られた大きなArcon(箱)がある。この箱には銀細工が施してある。これと同種のArconがサントリー美術館に収蔵されているが、このタイマイも赤色を帯びたタイマイであり、象牙で幾何学模様が装飾してある。この種の赤みを帯びたタイマイは一般にカリブ海産のタイマイであろうと考えられている。
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