正倉院の玳瑁宝物調査
正倉院のタイマイの工芸品は、
一、中国大陸でつくられ、その製品が持ちこまれたもの。
二、中国(朝鮮) の工人が渡来し、我が国で加工したもの。
三、その渡来してきた工人の指導により我が国の工人が製作した工芸品、または直接我が国の工人が大陸
(朝鮮)に渡り、修得した技芸により製作した工芸品。
この三種類に分けて考察すべきであるがこの三者の工芸品を判然と区別し詳かにする事はできなかった。
例えば第二類又は第三類に属すると思われる工芸品の中に和琴がある。和琴の装飾に多くのタイマイが使用されているが、これはタイマイ工芸の和風化を意味するものであり、最初に大陸(朝鮮を含む)より渡来した工人より我が国の工人にタイマイの技芸が受け継がれた時期を示しているのではないかとして注目した。
さらに、タイマイの代用的素材として使用されている動物の爪状のもの(馬爪?)による工芸品についても、朝鮮半島よりその技法を伝えられたものではないかと考えたが、このことについても詳にすることばできなかった。
また、正倉院の?瑁宝物は工芸的材質的にみて左記のように三つに分類することができる。
第一類 タイマイの素材のみによって造られている宝物。
第二類 装飾の一部としてタイマイを加工・使用しているもの。
第三類 タイマイ以外の海ガメ類甲鱗板、または他の動物素材を装飾の一部に加工・使用しているもの。
第一類 タイマイの素材のみによって造られている宝物
南倉五一 ?瑁竹形如意・?瑁如意
あか甲とよぶ背甲が使用してあり、厚い甲羅が使用されている。
竹形如意の柄は五つの部分よりつくられ、竹の形を造形しているが、その中には木心を入れてある。これは南六五の?瑁八角形杖並びに竹形杖の場合も同様に、中に木心が入れてある。
五つの部分のタイマイの継ぎ目は 「かぶせ継」 の手法であり、その接着には油気のない水を用い、それに熟を加えて接着している。
竹の一節一節に竹葉がつけてあるが、その葉の取付には上下に差し込みをつけ、竹の幹の部分に嵌め込んでいる。嵌め込みの所には接着剤(膠?)がつかわれているようにみえた。竹の葉の部分には毛彫りがあり、竹の葉の感じを出している。
大・小の如意は共に同一の技法であり、厚さは三ミリ〜五ミリの同じ甲羅を使用していると考える。小の如意には横斑の多い甲を使用したように見えた。大・小の如意は共に良い風合のある部分が上部に使用されていた。
如意先端部分の製作は、現在伝承されている技法によると、桜の木で三角形のわり型を作り、その型にそって熟を加え曲げ込んでゆくが、その曲げの技術が一番むつかしく、細い曲げしわが如意の中にあらわれている。如意の先端にみられる切込みは昔の工具ではガンギ (ヤスリ)、タチコを使用していると考える。
付紙に 「玳瑁如意一枚自上所給下」 とある。
南倉六五 ?瑁竹形杖
この杖は後に掲げる南六五の?瑁八角形杖と同種の工程により製作されている。その製作工程については菊地藤一郎が本論末に詳述するが、まず、木心をつくり、木心にそってつけるタイマイの八つの節の裏面に全て金で裏彩色を施す。杖に巻き付けている蔓もタイマイであり、五ミリー五・五ミリの厚さのある大きな一匹のタイマイの甲より八つの蔓を作り出してい
る(この八木の蔓は一枚の甲より作り出したものとも考えられる)。木心に巻きつけられた八つのタイマイの節は、熟を使用して曲げられ接着されているが、その継ぎ目は一節ごとに交互になっており、杖につけられているタイマイの竹枝は竹幹の継目と同じ面にあり、継目と竹枝とは一節毎に交互になっている。
蔓・竹枝共にさし込みがあり、本体にはめ込まれているが、その接着には膠が使用されているようである。タイマイの蔓は上部の周囲一・九センチメートル、下部は一・六五センチメートルである。一、二節については補修の跡がみられる。竹枝の部分も大甲からとったもので差し込みをつけ、取付けている。
第二類 装飾の一部としてタイマイを加工・使用しているもの
北倉二七 螺鈿紫檀琵琶
献物帳記載の品で、槽の部分に螺鈿、タイマイ、塊拍などをつかって唐草・鳥・雲などの文様が表わされているが、そのうち唐草の茎と実にタイマイが使用されている。
実と茎は同種の赤斑のあるタイマイの甲を使い、その縁をツゲの木で縁どりしている。
使用しているタイマイは一匹の亀の甲であると考える。その亀の甲の中でも、小さな斑の入った部分を選んで切りとり使用している。タイマイの縁どりの新しく見えるところは明治時代の後補であり、その縁どり内に入れられているタイマイも後補のものと考える。それは後補のタイマイは本来はめられていた小さな斑の甲と異なり、大きな斑のタイマイが使用されているからである。この小さな目の斑のある甲を、ベッ甲職人仲間では 「豆もく」といっている。全体的に言って、タイマイの小さな斑の部分を選び装飾に用いているのは巧みであると言える。
細工の方法としては、まずタイマイを細工して型を整え、その周囲にツゲの枠をうめこむという技法を用いたと考える。
タイマイの下地には金箔が施され、タイマイの斑の文様を浮きたたせる効果を考えている。金箔をタイマイの下に貼ると、タイマイを木部に接着させる際、卵白を接着剤として使用することはできないので、薄い膠を使用していると考える。
タイマイでつくられた部分は軽い肉付けがなされ、面おとしが施され、その上に毛彫りがなされている。
なお、同琵琶の文様、迦陵頻伽が乗っている花の芯は淡黄緑色の玉であるが、これはタイマイではないという意見であり、何か爪のような繊維質のようなものが見えるという委員もあり、また石質のものではなく練物ではなかろうかという意見もあった。
北倉二九 螺鈿紫檀五絃琵琶
献物帳所載の著名な五絃琵琶であるが、最も多くのベッ甲が使用されている琵琶で、捍撥に大きなタイマイの板が貼られ、そのタイマイ板に螺鈿細工のラクダに乗る人物と熱帯樹などが装飾されている。
ここに使用されているタイマイの甲は大きくは、三ケ所で継がれており、その中に螺鈿文様がはめこまれているが、斑の入り方より考えて、二枚の異なるタイマイの大型背甲鱗仮の赤のウス 甲板(背甲)より作り出されているものと考える。甲の厚さは一ミリ程度に仕上げられている。
三つ区分のタイマイの継ぎ目の技法は、一方を薄くして継いでいるが、その継ぎ目には、砥の粉と思うが何かツメモノがあるようにみうけた。
腹板の方には小花文十三個が配されているが、この小花文の緑と花芯にはタイマイが嵌め込まれている。花芯のタイマイは槽に使用されているタイマイと同じ上甲(黄ベッ甲)が使用され、その花芯の甲の裏には線彫りと彩色が施されている。その接着剤については不詳であるが、薄い膠であろう。小花文のうち三段目の左端、四段目の右端の二個は新補のものと考える。この二個を新補と考える理由は次の三点からである。
一、花芯の下に施されている金箔が新しい。
二、タイマイにつやがあり、光って新しく見える(ベッ甲は古くなると艶が失われる)。
三、菊地の所見によると、この補修されたと思われる花芯は古い花芯に比べて、少しではあるが浮いてみえるという事であった。また、菊地によるとこの補修の技術は少し注意が足りなかったようにみえるとのことであった。
覆手の先端にタイマイが使用してあるが、これも新補である。
琵琶の周囲ならびに落帯にタイマイがはめられてあり、殆んどが新補であるが、落帯の一部に古いタイマイが使用されている。落帯のタイマイの下には朱・緑・墨で花弁や飛鳥が描いてある。周囲のタイマイは八枚のタイマイ片がつけられている。
北倉三〇 螺鈿紫檀阮咸
これも献物帳記載の品である。捍撥の斜め上方にある二個の円形花文の装飾は全てタイマイと考えられていたが、タイマイでなく犀角であろうと考えられ花弁と各花弁の芯は琉拍であろうと推定された。
腹板の縁は九つのタイマイで縁取りしてあるが新補のものである。
鹿頸.海老尾の各部の装飾にタイマイが使用されているが、新補のものであろうと推論され、
これも本来は捍撥の花文にあわせて琥珀柏が使用されていたであろうという意見であった。
槽の部分に装飾されている複合八弁唐花文及び花文周囲の馬蹄形の部分にはタイマイが使用され、そこにはタイマイ特有の背甲の斑がみられる。
なお、槽の瓔珞文の中にある方形の飾文様の一部に、内田氏はタイマイと指摘され、菊地は琥珀とする部分であった。
中倉一三一 斑犀把彩絵鞘金銀荘刀子 第四六号
鞘の木心の上に淡緑地に朱・黄褐色の諸彩で草花文を描き、その上をタイマイで覆っている。鞘をまいているタイマイの接合には、両端の合わせ目の上に巾二ミリ程度の細長いタイマイを置き、熱処理にて接合している。
しかし、刀子の鞘貼りを全てタイマイと判断するには些か疑問が持たれた。タイマイでなく他の材質のものであるかもしれないという意見であった。
中倉一四六 ?瑁螺鈿八角箱
八角箱に使用されているタイマイは、ベッ甲職人の仲間で俗に「南京甲」と呼んでいる甲が使 用されている。明治時代に補修されたタイマイもある。古いタイマイと新補のタイマイとを比較してみると次のようなことが言える。
一、古いタイマイの下には黄土が塗られている。新補のタイマイの下も黄土が用いられている。
二、箱蓋の甲面にはタイマイの赤背甲が用いられているが、新補のものは黄色の多いタイマイが使用されている。それは新補修理の時代には黄色の多いタイマイが好まれ、黄色のタイマイが赤背甲より上手のものと解されていたから、修理に際し上手ものを使用したのであろうと考える。それ改に箱の表面は現在明るい感じになっているが、本来は側面にあわせて赤味の強い南京甲が使用され、箱全体がもっと落ち付いた感じのものであったと推測される。
三、側面のタイマイは黒いタイマイ甲が多く、補修の場合も黒色のタイマイが使用されているが、本来表面の赤背甲との配合を考えて造られたものであろう。
四、表面も側面も一匹のタイマイの甲を用いて造ったものと考える。
五、側面に使用されているタイマイは生甲である。
この他、次の諸点を考えてみた。
一、一側面に使用されているタイマイの玉は赤味を帯びているが、これは琥珀ではないかといぅ意見もあり(菊地談)、また琥珀と断定するのはどうであろうかという意見もあった。もしこれをタイマイとすれば強く焼を入れたものであろう。
二、タイマイの下の黒い所は下に彩色がなされているようにみえた。
三、上部に残る古い赤いタイマイは箱がつくられた当初のものであると考える。
四、側面の黒いタイマイはタラモク(タチモク)が使用きれている。
南倉五〇 ?瑁柄塵尾
竹製の柄の部分に白密陀を塗り、タイマイを上にかぶせて、熟を加え接合している。タイマイは薄甲を使用している。
南倉七〇 円鏡 第二号・第五号
円鏡第二号の部分は、現在保存修理を受けてタイマイの使用はなされていないが、もとはタイマイが使用されていたことが判る。第五号の花の周囲部はタイマイであると考える。花芯の部分はコハクであろうと考えた。タイマイはコハクよりねばりがある。タイマイは背甲を用い、最初タイマイの型をとり、嵌め込み細工となっている。
南倉九八 檜和琴
周縁に金銀泥で文様を描いたタイマイを貼り、竜頭・竜尾にもタイマイを貼っている。緑地タイマイの部分は後補である。竜頭尾のタイマイは、あらかじめ型をつくり嵌め込んだものである。一部に補修のあとがみられる。
側面(磯)には彩絵を施したタイマイと金箔を裏より押したタイマイが交互に貼られている。
彩絵のものは直接、朱、緑などで文様を描くが、タイマイでないことが明らかになった。
南倉一〇一楓蘇芳染螺鈿槽琵琶
楓材の覆手の木口に金箔と藍を塗り、タイマイを貼っている。これは木口のいたみを防ぐためのものと考える。
裏面に像嵌されている花文様のうち、その花芯はタイマイと考える。タイマイとすればハラ甲かツメ甲であろう。厚さは一ミリ程度である。手ざわりよりすると、石のような冷たさがないのでタイマイと考えた。
南倉一二五 桑木阮咸
阮咸の胴の縁は裏に金箔を貼ったタイマイが使用してある。このタイマイは腹甲で、幅四ミリ程度に仕上げられ、一枚の長さ三〜三一・六センチメートルのものが胴に貼ってある。
木口は檜材で、金箔を下に敷いたタイマイが貼られている。これもタイマイを貼ることによって木口の痛みを防いでいるもので、単なる装飾ではないと考える。
南倉一七七 楽器残欠
箏残欠 第一号の内
○龍額板
玉戸内には、墨、丹、朱、緑青などで花鳥文を描き、金箔(紙裏打)を貼ったいわゆる裏彩色のあるタイマイを嵌めている。タイマイは、一枚の大きな腹甲の部分を使用したと考える。
○龍尾坂
柏形の外には、前項同様花枝・花喰鳥の裏彩色のあるタイマイを貼る。タイマイは特に上質の「豆斑」とよぶ本甲の端の部分が使用されている。
二枚のタイマイの甲より造られているが、その継ぎ目は下のものを上に被せ、すり上げの跡がみられた。二枚の接着には水を使ったと考える。
箏残欠 第二号
○龍尾坂
前者と同様裏彩色のあるタイマイの三枚のハラ甲を、柏形界線外に貼っている。タイマイの下に見える彩画については、ガラス絵を製作する要領で直接タイマイの裏面に彩画し、金箔を施した木心の上に貼られることになる。あるいはタイマイの下に見える金箔については、木心に金箔を施しタイマイを上に置くのではなく、直接タイマイの裏面に金箔を置きそれを本心に貼りつけたのではないかとも考えてみた。その時の木心とタイマイの接着は薄い膠によったと考えた。
箏残欠
○柱 甲 二枚
柱の両側面に金箔を押し、緑青・朱・墨にて花喰鳥を描き、上にタイマイを貼っている。
○?瑁残片 五片
材質は全てタイマイである。
下に緑青・金箔を置き、裏に花弁・鳥を描き、紙を貼っている。
これらを見ると、前に説明したように、タイマイに直接ガラス絵の手法で彩画し、または金箔を置き、その押さえに紙を貼ったのか、あるいは木心に紙を貼り、その上から彩画し、タイマイを貼ったのかもしれない。タイマイ細工の上からは前者が容易であると考える。
南倉一七八 器物残材
正倉院にはタイマイの残片数種が一括して保存されており、それは次のように分類されている。
-一?瑁残片 二個
一個は十三ミリの丸形で、タイマイの腹皮(腹甲)が使用されている。裏面に毛彫りが施され、北倉三〇の阮咸の残片であろうかと推定されている。(毛彫りの模様は花形である。)
一個は半月形をした腹甲で、裏より毛彫りで鳥の模様が施された一部である。
-七 ?瑁螺鈿八角箱残闕 二十片
「中倉一四六?瑁螺鈿八角箱の残材」と註記がある。
材質は甲羅の黒甲(黒褐色)所謂背中を使用している。裏側は磨きがかけられておらず黄土が塗られている。
このような細工には「切りまわし鋸」を使用するが、当時もそのような細工用具があったと考えられる。
-四一檜和琴?瑁給一括
これら残材については、南倉九八の檜和琴と同種のものの和琴の断片であると推定されている。今回、同和琴と比較してみて、この推論は当を得ていることがわかる。
他の和琴の文様にみられる手法と同じく、黒線で鹿・蝶・松・花井・鳥などを描き、彩を施し、その上から黄土・朱または緑などの一色を塗っている。
断片よりみて、ベッ甲にない規則的な横線があり、馬の爪かサイ角かそのような物ではないかと考える。
これとは別にベッ甲の残片十三枚あり、裏面に金箔を貼る。
-五〇 ?瑁残片
南倉一〇一螺鈿楓琵琶から欠落したものであろう。
材質はタイマイの爪甲で、虫喰あり。
裏に彩絵の痕がある。裏に紙をはり、紙にのりをつけ、ベッ甲を貼りつける。
-五一?瑁残片
材質 ベッ甲と馬爪
一片、また小三片、多くつくられた数ものと考えられている。
?形
完形二枚、残片二枚。裏に金箔を施す。北倉三〇螺鈿紫檀阮威から欠落したものであると推定されている。
木瓜文形タイマイの背甲。中高にして面を落とす(糸鋸で細工する)。裏にわさきあり。南倉七〇の円鏡第二号に嵌めこまれていたものと推定されている。一片、裏より丹を塗る。
長方形タイマイ背甲、下地の色を出すために薄く造る。花弁には紅をおき、裏より金箔をおく。
南倉一七七の箏第二号、龍尾坂から脱落したものと推定されている。
長方形の上・中の二片は裏に群青の彩色あり。下の一片は裏に緑青で走鹿を描く。三片いずれもベッ甲か馬の爪か不詳。断面を拡大してみても馬爪という確認はできなかったが、ベッ甲とは考えられない感覚である。
函三三-一?瑁雲母其他九片の内 ?瑁破片二片あり。
函六七-四 ?瑁剥落(七片 小片四)
この中には馬の爪と思われるものもある。
二片……裏に黄土を塗る。中倉一四六の?瑁螺鈿八角箱の部分か。
一片……裏に黒縁・褐色・朱にて樹木を描き緑青を塗る。南九八の檜和琴の欠落部分か。
二片……裏に花鳥の彩絵あり、金箔を貼る。
二片……裏に金箔を貼る。
四片……細片、内二片裏に金箔を貼る。
中倉二〇二、七一号櫃中より発見のもの (約四〇片)南九八の檜和琴と合す。
第三類 タイマイ以外の海ガメ類甲鱗板、または他の動物素材を装飾の一部に加工・使用しているもの
北倉三六 碁局龕
底裏を除く箱の表面には、全面に亀甲形の角質様のものが貼りめぐらされている。これはタイマイの甲ではなく、馬爪様のものを薄く加工し使用したものと認められた。その加工の技術はタイマイの加工技術と同様になされたものである。
南倉五四 紫檀小架
小架の台にある木画界線内は金箔をおき、上に薄いタイマイ様の亀甲を貼っているが、これはタイマイの甲ではなく、アオウミガメの背甲を一定の厚みに加工し、貼っているものと考える。
南倉六五 ?瑁八角形杖
八角形杖の材質については、タイマイでなく、アオウミガメ(正覚坊)であろうという意見が強かった。
その製作の工程は八角型の木心にアオウミガメの背甲を貼り付けているが、その木心の材質は不詳である。木心とアオウミガメの接着には卵白が使用されたと考える。柄・杖の部分には籐巻がある。明治三十五年五月全体を修補したとの記録があり、杖の八角のうち四面は金箔、他の四面には緑青をアオウミガメの裏面に塗って、アオウミガメのもつ斑の文様の効果を引き立たせている。柄並びに杖の部分に修理の跡が四ケ所みとめられた。
杖の柄の部分はやや曲線になっているので火を用いて木心にそってアオウミガメを曲げ、横木の下の部分で接合している。
杖の先端には象牙がはめられている。
南倉一七七 楽器残欠 箏残欠一号の内
龍唇 木質の表面に黄土を塗り、亀の甲を上よりかぶせているが、この亀の甲はアオウミガメの甲であると判断した。その理由は、色のはしり具合と全体に薄い感覚によったものである。
龍額板 材質はタイマイの甲と確定できなかった。タイマイとすれば一枚の大きな腹甲かと思う。
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