正倉院宝物タイマイについて
正倉院宝物の中にタイマイの宝物が収蔵されていたことは早く知られていたが、海亀並びにタイマイ技術家の専門家によって調査されたのは今回がはじめてであり、私はその調査の記述者として同席を許され正式の調査報告書は平成二年度正倉院年報に掲載されるが、本稿では正倉院宝宝物の中にタイマイ製品として如何なるものが収蔵されているかを紹介し、それによってタイマイで如何なるものが上代にはつくられてタイマイの製品は前述のようにギリシャ、ローマ、インド、パキスタン、ガンダーラ、中国(漢時代)、古代朝鮮においてもつくられていたことは発掘品及び文献によって知られているが、完成している上代のタイマイの工芸品として伝世しているものは正倉院の宝物を除いて現在は世界のどこにも存在しないことを考えても正倉院のタイマイの工芸品が如何に貴重なものであるかが解される。
いたかということを考える資料として掲載することにした。
タイマイの上代工芸品の遺品がこのように少ないのは、第一にタイマイは虫がつき易く虫による損傷が早いこと、その故に保存が極めてむつかしく、正倉院にこのようにタイマイの工芸品が保存されていたことは驚異にあたいする。第二は、修理が困難であり、べっ甲細工職人の数が極めて限定されたものであったこと。第三はタイマイ細工の原料となるウミガメの生息地が限定された海域であり、その材料をうることが容易でなかったことなどが考えられる。
私は正倉院宝物のタイマイを工芸的にみて次の3種に分類して考えてみた。
第一は、タイマイそのものを素材とし作られている工芸品、その例として代表的なものをあげると、次のようなものがある。
南倉五一玳瑁如意(俤教用具)
〃 六五 玳瑁八角杖(儀式用)
〃〃竹形杖(儀式用)
杖はタイマイそのものを何枚かつぎ合わせて造ってある。また杖は中に木心を入れ、それにタイマイをまきつけて細工がなされている。
第二類としては、他の工芸品の一部にタイマイが加工してあるもの。
この部に属している工芸品は宝物の中でも非常に多い。代表的なものを左にあげる。
北倉二七 螺鈿紫檀琵琶の唐草模様の茎と実。
北倉二九 螺鈿紫檀五弦琵琶、捍撥に大きなタイマイの板を貼る。腹板の飾り、覆手、落帯にあり。
北倉三十 螺鈿紫檀阮咸捍撥の模様の一部、腹板、鹿頚、海老尾の装飾の一部。
中倉一四六 玳瑁螺鈿八角箱。
南倉九八 桧和琴。周縁に文様を描いたタイマイを貼る。竜頭尾にタイマイを貼る。
南倉一二五 桑木阮咸。胴の縁にタイマイを貼る。
南倉一〇一 楓蘇芳染螺鈿槽。木口にタイマイを貼る。裏面の装飾にタイマイ使用。
南倉七〇 円鐘。裏文様にタイマイ使用。
南倉五〇 玳瑁塵尾。柄の部分にタイマイを貼る。
中倉一三一 刀子四六号。鞘にタイマイを貼る。
南倉一七七 楽器残欠。
他に多数あり。
第三類としては、タイマイの代用として使用されたと思われる素材を工芸品の装飾の一部に加工使用しているもの、然し、それはタイマイの代用というのではなく、素材そのものとして使用したものと考える方がよいのかもしれない。この部類に属するものとしては、
南倉五四 紫檀小架の台にアオウミガメの甲を貼る。一見タイマイの甲に似ている。
北倉三六 木画紫檀棋局龕。畳摺上面に使用してある甲はタイマイでなく馬爪?
南倉一〜一七 楽器残欠。竜唇に貼る甲はアオウミガメ? 他にも同種のものと判断されるものがあった。
次に正倉院のタイマイをふくむ同類の工芸品の中で次の三点を問題点として考えてみた。
第一は正倉院に現存するタイマイ(アオウミガメ、爪類)の工芸品は中国大陸で製作され、我が国に舶載されたものであろうか。
第二には中国(朝鮮)の工人が渡来し、我が国で加工したものであろうか。
第三は、その渡来した工人の指導により我が国工人が製作したものであろうか。又は我が国工人が大陸(又は朝鮮)に渡り修得した技法により製作した工芸品であろうか。
以上この三種に分類できるタイマイの工芸品を判然と区別することばできなかった。
またタイマイと同様に使用されていた動物の爪状のもの(馬爪と思われるもの)による工芸品は朝鮮半島より、その技法が伝えられたものではないかと考えてみたが、このことについては詳かにすることば出来なかった。
前述のように第二類に属する工芸品の中、倭琴の装飾の中に多くのタイマイが使用されている が、このことばタイマイの和風化を意味するものと考えられないであろうか。すると倭琴にタイマイが使用された時期が大陸・朝鮮の工人よりうけついだタイマイの技術が帰化人も含めて我が国にタイマイの技術がうけつがれた時期と考えてよいのではなかろうか。
次に正倉院の時代にタイマイ工芸をつくるのに使用された工具についても考えてみなければならないが、正倉院にはそのような工具は現存していないが現在使用されている工具とはぼ同様な工具が使用されていたと考えられる。
例えば、鉄板ハサミ、裁鋸(タチノコ)、細面切鋸、押鏝(オシゴテ)、鉤鏝(カギゴテ)、ヘシ叩、ヒバシ、鏝をあたためる小さな炉。
一体に工具類は職人が好みによって、鋸、小刀、鏝とそれぞれが型をきめ、自分の手にあうようにつくるものが多い。
次にタイマイの接着剤であるが、昔よりタイマイの接着剤としては「卵の白み」をタイマイの裏に塗り、タイマイの上より熟を加え接着する方法が考えられていた。この熟を加えるとき熟せられた鏝を使用する。
又、他の方法としては、油気のない水をつけ接着する方法がある。
叉、うすい膠(にかわ)による接着がある。
私は以上概説したような調査報告書を平成二年三月に報告し、その最後の項に次のように綜合所見を記している。
正倉院のタイマイ調査で第一に驚かされたことは、我が国上代タイマイ技法の水準の高度さであった。
このタイマイの技法は他の正倉院宝物全般の工芸技法と同様に唐の文化を伝えたものと考えられるが、更に我が国のタイマイ技法は、その伝承した技法をもとに日本風のデザインとして展開しているところに、その持ちょうが見いだせる。例えば、私は南倉六五玳瑁竹形杖、和琴の装飾などをあげることができると考えている。
従来、上代のタイマイ研究については、参考資料にするものは極めて僅少であることもあって、今日まで殆んど纏った研究発表がないようであり、今回の調査によってタイマイ材料の産地とその種類、その材料の使用法とその技法、タイマイの代用として使用されているものなどの研究について、その端緒が見いだせたということである。
但しこのタイマイの代用ということについては、むしろ代用としたと考えられてきた獣爪などの使用の方が本来のもので、これに代って時代の推移によりタイマイが使用されるようになったのかもしれないと考える。
又、タイマイ製品の中に俤教用具の塵尾、如意がタイマイで作られていたが、このことは北伝の俤教伝来と共に南伝による俤教伝来のことも考え合わせる資料の一つとして考えさせられるものがあった。
現存する正倉院宝物の中にはタイマイの髪用具は見いだせなかった。然し大陸・朝鮮出土のタイマイ用具の中には髪飾用具が発見されているので当時は当然髪用具としてのタイマイが我国にもあったと考える。
一体、タイマイの遺品は殆んど虫害によって失われているが、正倉院宝物のように長く完成した型で保存伝世されているものは全世界の古代タイマイ遺品としても他に例をみないのではなかろうか。
正倉院のタイマイは明治時代に補修がなされているが、それによって吾れ吾れは明治時代におけるタイマイ(当時はベッコウと言っていた)に対する好みの色を知ることができたし、当時の「べっ甲職人」の技術のたしかさを知ることができた。
そして、この補修にあたっての「べっ甲職人」の技法は多分江戸時代より伝承された「江戸べっ甲職人」の手になったもので、「長崎べっ甲職人」の手になったものでないと私は考えた。
以上のように今回の調査報告は紙数の関係で要約したものになったが、今後は未見の資料、参考文献、今後発掘されるであろう新資料に目を通し、継続して論考を進めたいと考えている。
最後に今回の調査に御協力下された諸先生、特に正倉院の橋本義彦前館長、阿部弘館長の厚意あふれる御配慮、放びに調査室長の関根真隆先生、同調技官の木村法光先生の御指導・御鞭漣には心から感謝し厚く御礼申し上げます。
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