総合所見.調査を終えて
これまで正倉院にどの程度の技術を持つタイマイ細工が保存されているのか不詳であったが、此の度の二箇年に亘る?瑁調査で、今日以上の?瑁技術が当時すでに存在していたことを知り、驚いている。
?瑁の技術は他の正倉院宝物全般の工芸技法と同様に、唐の文化を伝えたものと考えられるが、さらに我が国の?瑁技法はその伝承した技術をもとにして日本風のデザインに展開している特徴が見受けられる。例えばその代表的なものとして南倉六五の?瑁竹形杖を挙げることができる。
その材質については現在では入手不可能と思われるはどの良質で大きなタイマイの甲が使用されていた。
従来上代の?瑁研究については参考にする資料も僅少で、今日まで殆んどまとまった研究発表を見なかったが、今回の調査によってタイマイ材料の産地とその種頸その材料の使用法とその技法、タイマイ以外の素材を使用されているものなどの研究について、その端緒を見い出すことができた。ただしタイマイ以外のものを素材とした品といっても、タイマイの代用かと考えられた獣爪などの方がむしろ本来のものであり、これに代って時代の推移によりタイマイが使用されるようになったのかもしれないとも考えている。
また、俤教用具の塵尾・如意がタイマイで造られているが、このことば北伝の俤教伝来と共に南伝による俤教伝来を考える上で一つの資料になるのではないだろうか。
現存する正倉院宝物の中に、タイマイの髪用具が見い出せなかったが、大陸出土のタイマイ用具の中には髪飾用具が発見されているので、当時は当然、装飾具としてのタイマイも多くあったのではないかと考えてみた。
一方、タイマイの遺品は殆んど虫害によって失われているのに、正倉院宝物のように完存した形で伝世しているものは、全世界の古代タイマイ遺品としても他に例をみない貴重なものである。
また、技術に対する工具類は正倉院には見ることができなかったが、現在のベッ甲細工の工具とほぼ同じ用具が使用されていたのではないかと菊地は推定する。
接着剤は最初から問題になっていたが、卵白による接着と、油気のない水を使用し熱処理による接着が現在行われているが、当時もこのような接着法が主であり、その補強用として一部に膠が使用されたと考えられた。
これらのタイマイ製品は明治時代に修理がなされているが、多分、東京を中心にしたベッ甲細工人が、江戸時代より伝承された「江戸のベッ甲職人」の技法をもって、現代使用している工具と同じ工具を携え、修理に参加したのであろう。それによって我々は明治時代の「ベッ甲職人」の技術の確かさや、明治時代におけるタイマイの好みの色などを知ることができる。
以上のように、今回の調査は紙数の関係もあって要約した報告に終ったが、今後は未見の資料・参考文献などに目を通し、継続して論考を進めていきたいと考えている。
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