長崎奉行井びに会所の記


長崎御奉行並びに會所糸割賦の記

○文禄元年豊太閤の時、寺澤志摩守、長崎奉行の始めなり。○慶長九年、奉行小笠原一庵の時、長崎本博多町にて五ケ所商人、糸割符商賣始る。(此の頃日本も戦国にて蠶作る事少し。依って唐方へ絹糸持渡り仰せっけらる。其の糸諸国へ割符の商人採ると云ふ。)○寛永十年より奉行両人に相成る。(曽我又左衛門・今村博四郎)○寛永十五年奉行(榊原飛弾守・馬場三郎左衛門)今年より詰切り在勤。○正保四年奉行(馬場三郎左衛門・山崎権八郎)の時、唐の大通事始る。○明暦元年奉行(黒川與兵衛・甲斐の庄喜右衛門)の時、糸割符商賣止む。○貞享二年奉行(川口源左衛門・宮城監物)の時糸割符再興、長崎八百屋町市法會所を割符會所と称す。○同四年より奉行三人と成る。貮人在勤、壹人在符。(両人上1に同じ。山岡十兵衛)○元禄十一年奉行(諏訪下総守・近藤備中守・丹羽遠江守)の時、糸割符會所巳来、長崎會所と称す。○同十三年より奉行四人に成る。貮人在勤、貮人在府(丹羽遠江守・大嶋伊勢守)○正徳二年奉行三人に成る。貮人在勤、壹人在府。(久松備後守・大岡備前守)○同四年奉行貮人に相成る。壹人在勤、壹人在府。(駒木根肥後守・久松備後守)○元文三年奉行(窪田肥前守・萩原伯耆守)の時、長崎町年寄、宿老、唐、阿蘭陀大小通詞會所役人へ御扶持

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