玳瑁叙荘飾の記


○漠土釵女?の女、荊及び竹を以て、笄を作る。(貝原先生著『漢事始』に見ゆ)
○尭帝に至りて鋼を以て作る。○舜帝に至りて象牙及び?瑁を以て作る、
是れ釵の始めなり。( 『古今原始』に女の荘飾是れを始めと為す。)
(舜帝の後、夏の禹王より天保十年まで四千五十八年なり。)
『楴枝古今注』 に云ふ、周の穆王は象牙を以て之れを為る。○敬王は玳瑁を以て之れを為る。○秦の始皇は金銀の鳳頭を作り、玳瑁を以て脚と為し、號して鳳奴と日ふ。○魏宮中に大いに行はる。(魏の後より天保十年まで千六百廿三年なり)
○大日本○八皇三十四代、推古天皇十五歳(本朝女帝の始めなり)聖徳皇太子攝政の時、小野妹子臣を隋の煬帝に遣はし、玳瑁を持ち渡る。(七寳の内の一つなり。太子の父は用明帝。攝政すること廿九年。)(推古帝十五年より天保十歳まで千二百二十二歳)玳瑁圃扇は、京都太秦、廣隆寺寳物なり。(羽は玳瑁、柄は通天犀之れを造る。皇太子、大和國橘寺に於て、勝鬘経、御講讃の時、御所持)○人皇四十代、元正天皇霊亀二(丙辰)歳、吉備大臣、入唐の時簪を用ひる。唐の玄宗開元四年なり。壹亀二年より天保十年まで一千百廿四年なり)(大臣は、元明帝、元正帝、聖武帝、三代の臣。毒八十三にて卒去す。)○人皇五十七代、陽成院、元慶三年に書成る。文徳實録。(十六巻十七丁目に云ふ)大臣以上、玳瑁を石帝に用ひると云ふことあり。(元慶三年より天保十年まで、九百六十一歳なり) ○文明年中、東山將軍足利義政公の時代關寺小町謡の句に玳瑁のこと之れあり。(哀実にいにしへはひとよとまりし宿までもたいまいをかざり、かきに金花をかけ、とには水精をつらねつつ、鸞輿・属車の玉衣の色をかざりてしきたへの、中略(文明より天保十年まで三百七十一年なり)


櫛笄指用記

婦人頭髪を荘飾るに、櫛一枚笄一本、前指琴柱一對、後差琴柱一對を以てす。以上六品を指し連ね用ひること規式なり。但し櫛は髷の前に指し、笄は髷の根に差し通す。上の方少し余りにして左右に出づる髷を止める為めなり。前指一對は?の左右より指す。後指一對は琴の左右より指し前後の琴柱を指に足先のみ髪に入る。其の外一頭に櫛笄のみ指し用ひ亦簪のみ指し用ひる多少は各々略用にして心に随ひ差し用ひる處なり。

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